場の空気を読む、流れを変える

齋藤(2007)によると、日本には人と人との<あいだ>に流れる空気を大切にし、その機敏を敏感に読み取ってきた独自の「気」の文化が根付いているとされる。つまり、齋藤は、日本人は、人と人との<あいだ>に流れるものをつかもうとする感性が発達していた民族だと指摘する。その「流れ」の正体は「気」であり、気とは、身体から発せられるエネルギーが混じり合って、自分の内側だけでなく外側の人とのあいだも流れる「場の空気」となる。


そして、「気」の文化の根底にある運動性とは、受動と能動がダイナミックにポジション・チェンジしていく様子すなわち相反するものが、混じり合い、交代するなかで躍動感が生まれる運動性でだとする。これは、東洋思想における陰陽説と同様である。


齋藤(2007)は、場の空気の流れを読む力を「空間感知力」と「文脈力」に分類しているが、本質的には、空気を読む力、場を読む力とは、「兆し」や「気配」をとらえる力だという。つまり、何か変化していく最初のところの変化をとらえる力である。そのためには、柔軟な身体感覚を身につけることを身につけ、背中にも気のセンサーをつけることだと説くが。そうすることによって自分の周り360度すべての状況に対し、瞬時にでも体全体で「兆し」や「気配」を読み取ることが可能になるということだといえよう。そして、気を読む(感じる)とは、「私が、感じる」というよりは、周りの世界によって「感じさせられている」ものに敏感になることであり、それによって、外側に流れるものを内側の身体感覚で把握していくのである。これは、「積極的受動性」(内と外が溶け合い、世界と一体化する)とも関連している。


場の流れを変える方法については、齋藤は基本として「流れに沿いつつずらす」ことを説く。これは、相手の動きに同調しながら相手の勢いを利用する「柔(やわら)」の精神である。その他、共にゴールを目指す、物理的な場所や配置を変える、部屋の空気を入れかえる、新たなエネルギーを体に入れる、気を放つ、笑いを活用する、間合いを工夫して受動と能動を反転させる、位相をずらす、自分が場の流れに責任を持ち、当事者として場の流れをデザインしていく、などさまざまなTipsを紹介している。