なぜ時間は過去から未来へと流れるのか

橋元(2006)の著作に基づいて考察しよう。現代科学では、相対性理論量子力学も、空間や時間の実在を否定する。現代物理学では、時間には方向もないし過去から未来へと流れない。宇宙には空間も時間もなく、人間の認識能力を超越したかたちで「ただ存在する」だけである。


ではなぜ、私たちは直感的に、時間は過去から未来へと方向をもって流れていると感じるのだろうか。それは、人間が生得的に持っている思考のメカニズムに起因している。そしてそれは生命進化の結果身につけたものだと考えられる。人間は、刹那的に、その瞬間、瞬間に、主観的な時間を創造している。そして、主観的に創造された時間というのは、現在のみであって、過去も未来もない。現在という主観的時間の正体は「意志」であり、自由意志が意思決定する瞬間が現在である。


そして、大切なことは、この意思決定をするという現在を、人間の脳は記録することができる。しかも、きちんと順序だてて記録していく。よって、この順序を、過去から現在までの時間の流れとして人間は解釈するのである。よって私たちは、直接過去を見ることはできないのだけれども、順番に記録された情報を照合することによって、過去から現在への時間の流れを創造する。つまり、あたかも過去という時間が「存在」したかのように知覚する。未来というのは、何かが起こった場合に自由意志で決定できるという知識をさす。これを、過去から未来への流れの延長線上で捉えると、過去、現在、未来の「時間の流れ」が創造される。つまり、時間の流れは私たちが無意識的に(生まれつきの認識機能によって)つくりだしている概念なのだと考えられるのである。


自分自身が行う意思決定が、過去から現在、未来へと、ちょうど川の流れのように、1つの流れとしてつながるようになる。そして、「誕生から死へ至る一連の自己」という意識を持つようになる。誕生から死まで連続して流れているから、他人ではなく、自分なのだと確信できるのである(時間の流れを生み出す思考の機能に支障をきたしてしまえば、二重人格など自己アイデンティティを喪失する病になってしまうだろう)。つまり「わたし」という自己概念が、時間の流れを前提とした概念なのである。