プロフェッショナルの勘とは

勘がいい、あるいは勘を磨くということは、かならずしも知識や情報を無視するということではありません。いや、むしろ、あらゆる情報に興味を持ち、特に分野の異なる情報にもつねに接し、身体でこれもものにすることなのでしょう。理論や体系的な知識も大切ですが、これを100パーセント信じてしまっては、生きた市場、生きた人間とは向かい合えません。理論というのは、あくまで暫定的なものです。つまり、その時までの知識と情報の集積であり、また、しばしば、その時の流行に乗ったものであるのです。つまり、理論は常に現実によって書き換えられる、暫定的で不完全な、ものを考えるプロセスの1つの枠組みにすぎません。・・・理論が、人間の知識が不完全だからこそ、新しい情報のかたまりである現実が大切なのです。
まだ体系化されていない、あるいは体系化することがきわめて難しい知識と情報のかたまり、それがプロフェッショナルたちの勘なのではないでしょうか。つまり、長い経験と修羅場の中で磨かれた勘は、決して、素人の思いつきではないのです(榊原 2005:141-142)。

コメント:実に鋭い指摘である。「教養」の重要性を著者が身を持って示しているようだ。理論についても洞察に富む記述がある。

理論というものはある情報量に基づいてモデル構築をし論理的体系を作ったものです。情報量が増えれば、当然、その理論も変えていかねばなりません。宗教ではなく、社会科学の理論なのですから、新しい現実が現われて、新しい情報があれば、理論はどんどん変えていくべきなのです。・・・優れた経済学者ほど現実の変化に合わせて自分の理論を変えてきている(榊原 2005:179)。


理論はある種のストーリーです。それを組み立てる作業は、ちょうど星の煌く夜空を見上げながら、古代ギリシャ人が星座にまつわる数々の神話を作りあげたのとよく似ています。・・・私たちは、誰もが教育の過程でさまざまな物語を教えられて育ってきました。それらを通して世界を眺め、解釈してきたことは事実です。しかし、現実はどんどん変化していきます。新しい現実を説明するのに、どうしても旧来の物語ではしっくりこないときは、もはや自分でストーリーを修正するか、新しく生み出すしかありません(榊原 2005:183-184)。


理論は、現実の展開にかなり遅れて精緻化されていく。現実というものが限りなく豊かなもので、そこにこそ学問の原点があるのだということを忘れて、乾いた理論で現実を切ってしまうと、とんでもない政策分析や提言をすることになりかねない(榊原 2005:215)。

コメント:理論は、限られた視点で切り取った現実のプラモデルにすぎない。別の視点で切れば別の理論も可能だし、現実自体が変化しつづけるとなれば話はもっと複雑だ。科学的理論であれば、理論を精緻化するのにはデータが不可欠だが、新たな社会的現実の進展の中で、研究に必要なデータが収集されるのはかなり遅れる。それをもちいて理論の妥当性を確かめても、すでに社会科学が対象とするような現実は数歩先を行っている。