経営学の「博士課程」が実務家や研究者に果たす役割とは何か

経営の実務家にとっては、経営学修士号(MBA)は知名度が高いが、経営学の博士号にはあまり価値を見出さないかもしれない。一般的には、博士課程は研究者養成コースである。しかし、経営学のような応用学問では、博士課程は、研究者にとっても、実務家にとっても、有益な役割を果たすことを示したい。

 

まず、経営学の実務に対する貢献を確認しておこう。経営学の(学術的な知的探求以外の)実務的な目的は、単純に言ってしまえば、経営の実務家が実際に意思決定をしたりアクションを起こす際に有益なエビデンスに基づく知識やロジックを提供することによって思考の前提や世界観に影響を与えることである。もちろん、既存の人事採用の仕方を改善して選抜精度を高めることに役立つというような近視眼的なメリットもあるが、そのような部類の貢献の幅は狭くインパクトは浅い。そのような貢献は、前提としている知識やロジックが同じなのであれば、大学以外でもできるからである。むしろ、経営実務家の考え方が進歩するほうが、それが経営の実践や効果、ひいては社会全体に与えるインパクトは大きい。経営学は、そのように、誰もが利用可能な公共財として経営全般や社会全体を良いものにするために資する知識体系を構築することを志向している。

 

上記を踏まえたうえで、実際に経営学の博士課程でどのような訓練をするのかについて説明しよう。これは経営学に限らないが、端的にいうと、(1)大量の学術論文を読むことと(2)研究を行って博士論文を書くこと、である。(1)は(2)の前提となっている。大量の学術論文を読む目的は、自分が専攻する分野について、できるだけ幅広く論文を大量に読むことによって、当該分野の知識体系を全体から詳細にわたって網羅的かつ深く理解することにある。それを踏まえ、自分が当該分野のどのトピックに貢献するのかを決めたうえで、その部分を前進させるための研究を行うことで博士論文を作成する。どちらも、独学で習得するのは難しい。どの論文を読むべきか、どう効率的に読むべきか、どう研究すべきかなどは、博士課程で教員や先輩から伝授され、それを後輩に伝授していくといった徒弟制的なやり方が支配的である。

 

経営学の博士課程を出て実務で活躍したい場合には、(1)大量な学術論文を読むこと、と(2)研究を行い論文を書くこと、のうち、(1)を重点的に行い、知識体系を自分のものにすることで、経営実務において役立てることができる。博士課程において大量の論文を読むことで、できるだけ幅広く、経営学の学術知識を自分の血肉となるまで咀嚼することができたということは、適切な経営を行うためのエビデンスベースな知識体系を身に着けていることを意味しているからである。そして、(2)で練習して習得した研究のスキルを、大学以外の実務においてエビデンスベースな経営手法を開発したり、経営上生じる文脈依存的かつ一回きりの課題や意思決定問題などについての仮説を検証したりするような場合に役立つ。

 

一方、職業として経営学研究者になろうとする場合は、博士号取得後は、(1)については、徐々に範囲を狭めながら自分がプロとして知の構築に参加するための深い文献理解を可能にするスキルを身に着けることが大事で、かつ(2)の研究については、真に経営学の発展に役立つような知識を生み出すことができるだけの新規性と厳密性を兼ねた経営研究を実践できるほどの実力を磨くことに精進することが重要となる。

 

つまり、経営学の博士号保有者が、実務界において経営学を実際の経営の実践に役立てようとする場合には、経営学の学術的な知識体系を幅広くかつしっかりと頭に埋め込んで、それを「使いこなす」ことが大切なのであり、その知識の一つ一つを作っていく作業は、同じ博士号保有者でも狭い範囲で深く活動するプロの経営学研究者に任せればよい。経営学を実務に生かそうとすれば、幅の広さは必要である。なぜならば、現実の経営においては様々な要因が絡まっていたりするので、幅広い視点や学術知識から検討し、場合によっては異なる知識体系を組み合わせる必要がある。ごく狭い範囲の知識体系しか知らないと、いくらそれを深く知っていても、実務には使えない。

 

一方、経営学研究者の仕事は、膨大な経営学の知識体系のうちのどこかの部分を強化したり修正したりすることで経営学全体を前進させるために貢献することであるから、自分の専門分野を定め、その部分については漏れや抜けがないようにしっかりと文献を読み込む必要がある。だから、幅広く文献を読むというよりは、狭い範囲の文献をしっかりと押さえることが大切である。なぜならば、自分が貢献する箇所については狭くても世界の第一線でなければならないから、それほどの深さが要求されるのである。他の分野の知識をたくさん保有していることは、研究に新しい視点を持ち込んだり鋭い洞察を得る意味で間接的に役立つが、特定の狭い領域での知的生産作業への貢献には直接的には役立たない。よって、幅広い経営学の学術知識を獲得し、それを活用してもらうのは、実務家としての博士号保有者に任せることになる。つまり、知の構築と活用という面で、博士号取得者間で役割分担が生じることになるのである。