なぜ日本の経営学研究は事例研究が中心なのか

従来の日本の経営学研究では、丹念に企業事例を観察し、そこから得られる発見、洞察、実践的含意を重視する傾向があったと思われる。これは、米国を中心とする研究、定量的、定性的を問わず、どちらかといえば法則定立的な研究とは性質が異なっている。なぜ、日本の経営学研究は事例研究が中心なのか。今回は、麻生川(2015)による日本のついての論考を参考にしてその理由を考えてみたい。


麻生川によると、西洋では経験から原理や法則性を抽出し、社会システムの構築を含め、実際の問題にはその原理や法則性を適用しようとする。すなわち、ヨーロッパでは元来「原理・法則の追究」への飽くなき熱意があり、現象を単に観察するだけでなくその現象を引き起こす原因を探り、原因と現象との因果関係から、普遍性のある原理・法則を導きだそうとする。これを現実の問題に応用しようとするのである。これに対し、日本では、細部には徹底的にこだわったりするが、どちらかというと園芸的な発想で、根本的な原理や法則性にあまり興味を示さない。むしろ、各人が「技」として法則のようなものを会得し、それを実際問題に適用して処理する。このプロセスには、西洋のような原理・法則性の追求や体系化というプロセスがない。


すなわち、科学を「現象を説明する理論を必須とし、体系化を志向する」ものであり、技術を「実用的な解決法を主旨とし、必ずしも根源的な解決法を求めない」ものとすると、日本は科学志向ではなく技術志向であることが示唆される。麻生川は、元来、日本人は、根本原理を追求するという西洋人の姿勢や粘り強さはなく、目先の問題解決だけで事足りるとして、原理まで追求する意欲を持たなかったために、科学的精神が欠けていたのだと指摘する。実際、日本人は「有用であるもの」「人間に役立つもの」を熱心に考察する一方で、効用性とは関係ない、構造を科学的観点から考察するようなことは、探求する対象ではなかった。つまり、日本人は総じて実務的・実利的なものには大いに関心を示したが、抽象的・観念的・制度的なものには関心を示さなかったのだと麻生川はいう。


これらの論考を踏まえると、日本の経営学においても、日本人の従来の特徴が反映された結果、米国を中心とするアプローチである科学的な観点からの原理・法則性の追求は重視されなかったと考えられる。そうではなく、実際の企業事例などを事細かに丹念に観察することによって、そこから実務的・実用的な発見を得ようとする。研究の結果として、現実の経営問題を解決するために有用な発見や洞察が得られればそれで満足し、必ずしも実務的とは言えない原理・法則性の追求には力を注がない。


したがって、日本の経営学の事例研究では、研究成果を評価するにあたって、対象となった事例をどれくらい深く記述し、理解し、意味のあるかたちで解釈できたか、そこからどのような発見や洞察があったのか、その発見および洞察は、実務的にどのように、そしてどの程度役に立つのか、といった視点が重視される。一方で、アメリカ中心の経営学で追求されるように、様々な経営現象の背後にある根本的な原理・法則は何なのか、そういった原理・法則をどの程度改良したのかといった視点はあまり重視されない。日本の事例研究では、企業事例などを「経営そのもの」として「まるごと理解する」なかで、いかにすれば良い経営ができるのかにつながるヒントを得ようとするのに対し、アメリカ中心の経営学では、個別の研究は、原理・法則性を確立しようとする一連の研究を前進させるための部分的研究成果として扱われがちである。つまり、アメリカを中心とする経営学が「経営現象を説明するための理論構築や法則定立と、それらの体系化」を主たる目的とする科学志向なのに対し、日本の経営学は「現実の経営の問題解決に役立つ知見を生み出す」ことを主たる目的とする技術志向であったと解釈できよう。


研究方法についても、日本の経営学で行われてきた丹念な事例研究というのは、職人的であり、研究者1人ひとりの「技」が必要となる。したがって、同じ対象を事例として研究する場合でも、研究者が異なれば、問題意識や目の付けどころ、また、分析の切り口や現象の記述内容、そしてそれらをどう解釈し意味づけるかなどが異なってくるので、研究結果も異なってくる可能性がある。抽象化・数量化(デジタル化)せず、アナログ的なまま事例を写しとろうとする場合はとくに、調査主体によって写し取られた(切り取られた)対象の質感や意味づけが異なることも予想されるわけである。これは、方法論がシステマチックに標準化・構造化され、仮説を構築した後に一定の手順を踏んでデータを集め、分析すれば誰が行っても同じような結果となる(すなわち再現性の高い)定量的研究とは異なるのである。ちなみに、アメリカ中心の経営学でも定性的研究は増えているが、基本的なスタンスは定量的研究と同じで、事例から一般化可能な原理や法則性を導くことを主な目的し、研究ではデータ収集方法の標準化や分析結果の再現性などを重視する。


誤解を恐れずに言えば、日本の経営学研究は、1つ1つの研究が、職人技によって丹念に作られた陶芸作品のようであり、日本の経営学は、1つ1つが完結した陶芸的作品のコレクションのようなイメージである。これらのコレクションをじっくりと鑑賞することにより、「経営とは何か」「どうすれば良い経営ができるか」についての全体像的なインスピレーション・洞察が得られることが期待されているのであろう。一方、アメリカを中心とする経営学は、1つ1つの研究は、先行研究や他の研究と組み合わせることではじめて貢献度が明確になる精密部品のようなものであるため、単体では、経営へのインパクトや実践的含意も弱いと言わざるを得ない。よってアメリカ中心の経営学は、部品としての形式知が集まってできた1つの大きな知識体系というイメージであり、その知識体系全体としてどれだけ経営現象への理解に貢献できるかが重要である。実務的には、抽象度や一般化可能性の高い知識体系によって様々な経営現象の背後に共通して存在する原理・法則を理解し、それを個別の経営課題に応用していこうという発想になる。