本編では、AMJに掲載された質的研究論文であるKim et al. (2019)を教材として、質的研究をトップジャーナルに載せるための研究方法や論文執筆方法について解説している。前回で序論の解説を終えたので、今回は、次のセクションである文献レビューの箇所について解説する。
序論の次の箇所の執筆の難しさ
序論で「ミニ論文」として論文の全体像を説明しているから、要約と序論を読んだ段階で、読者は論文全体のストーリーのあらすじは概ねわかっている。つまり、この研究の最も重要な発見が、時間概念とサステナビリティに関することであることを読者はすでにわかっているから、調査の詳細に進むことでこのストーリーの詳細を詳しく知るためには、時間概念とサステナビリティの先行研究についてあらかじめ理解して頭の中を整理しておくことが望ましい。だから、Kim et al. (2019)では、文献レビューの箇所でそれを説明している。
しかし、質的調査を実施する研究者の立場からすれば、序論で、この発見は「フィールドワークによって帰納的に導いた」ものだと言及しているから、調査を実施する前に、本論文で紹介されている先行研究を扱うことになるということを予測することはほぼ不可能である。であるから、論文上は、序論の後、先行文献レビュー、調査という順番で展開されるが、実際の研究はこのような順番で行われているわけではなく、調査が終了してから全体のストーリーが決まり、その要素として本論文で解説する先行文献レビューの内容が決まった可能性が高い。
つまり、とりわけ質的研究の場合、論文で記載される順番と、実際に研究が行われる順番とが対応していることはあまりないということである。特定の研究プロジェクトの最終的な完成版としての論文の構造は、あくまで読者がこの論文で示すストーリーに魅了してもらうために工夫を凝らした結果としての順番であり構造である。質的研究論文における全体のフレーミングとクラフティングが重要であると同時に非常に難しいのはこのような事情があるからである。繰り返すが、数量的研究の場合、方法論に至るまでの論文の内容は、例え調査実施前であっても原理的には作成可能である。しかし、質的研究の場合は、調査実施の前の段階で作成することは困難である。
つまり、質的研究においては、実際の研究のプロセスと、研究結果に基づいて読ませる論文を作成するプロセスは互いに独立した作業であると言ってよい。質的調査では柔軟性が最も重要な特徴であり、重要な発見を得る上で試行錯誤は避けては通れない。しかし、論文の読者がそのような試行錯誤の軌跡を追体験する必要は必ずしもないはずだし、論文の内容を正しく理解する上で邪魔になりうる。むしろ、論文作成においては、研究で得られた発見や成果をいかなる形で説得力ある形で読者に伝えるのかが最重要課題なのである。どのような順序で説明すれば、読者にいちばん伝わるのか。読者(学術論文の場合、同業の研究者)が感動してくれるのか、読者がその発見を信じてくれるのかを考え抜いて論文を作成するわけである。
調査前でも先行研究で構築された理論や発見などを使って理論や仮説を含むストーリーを構築することが可能な数量的研究とは大きく異なる。
文献レビュー箇所の構造
さて、数量的研究の場合、序論の次のパートは、理論的背景(Theoretical Background)とか、理論と仮説(Theory and Hypotheses)という見出しをつけたものである場合が支配的で、構造的には、文献レビュー的なものと理論・仮説の構築を別々にするケースと、文献レビューと理論・仮説構築をいっぺんに行うケースがある。本シリーズで見てきた論文はどれも後者のパターンであった。これは、何度も説明したきたとおり、数量的研究では、先行研究で用いられてきた広範囲な理論から、文脈特殊的な理論を構築していく手順を踏むので、文献レビューと理論・仮説構築にはある程度の連続性があって自然にそのように記述できるからである。
一方、質的研究については、見出しについてはより柔軟で、型にはまらない見出しも多い。これは、今回の質的研究編で強調しているとおり、質的研究を論文にする場合の難しさと裏腹の関係にある。つまり、質的研究論文は、質的調査そのものと、完成された論文の間にはその手順についてギャップがあるため、論文作成においては、論文としていかに自然な流れを作り、読者が引き込まれるように記述するかについての工夫が求められるがゆえでもある。ただ、序論の次のパートの役割としては、研究テーマについて、これまでの先行研究でどこまで分かってきたのかの背景を説明することがメインとなるので、Theoretical Backgroundのような見出しも多い。Kim et al. (2019)では、文献レビュー(Literature Review)と、比較的典型的な見出しとなっている。
Kim et al. (2019)の文献レビュー箇所は3つの小見出しで構成されており、最初が、「サステナビリティと時間のトレードオフについて」、2つ目が、「時間のトレードオフを阻害したり促進したりする時間的視点について」、3つ目が、「リソース制約の罠にはまった組織」となっている。「サステナビリティと時間のトレードオフについて」については、これまでも解説したとおり、サステナビリティの先行研究では、サステナビリティとは持続可能性を高めるためにリソースをどう使っていくかに関する問題だから、それには、「未来」のためにどれだけ「今」を我慢するかと言ったような、時間に関する「現在」と「未来」のトレードオフとして捉えられてきたことを説明している。
2つ目の「時間のトレードオフを阻害したり促進したりする時間的視点について」では、先行研究は時間のトレードオフにおいて現在を志向するのが「短期的志向」で、未来を志向するのが「長期志向」だと捉えてきたと指摘し、しかし、先行研究では、時間には「深さ」というものがあることも指摘されており、現在に集中するということが、必ずしも短期志向とイコールではないことに触れている。しかし、先行研究ではこのあたりを混同しており、現在を、「今、この瞬間」というように深みがないものとして捉えているからこそ、現在に集中することが遠い未来を見ていないという意味で「短期志向」だと理解しているのだと主張する。特に先行研究レビューのこの部分は、エスノグラフィーでの発見が明らかになった後でないと書けない内容である。
3つ目の「リソース制約の罠にはまった組織」では、上記でレビューしたサステナビリティにおける時間のトレードオフの枠組みに従って考えるためには、組織にリソースの余裕があることが必要条件であることが指摘される。組織にとって利用可能なリソースが欠乏している状態、すなわちスラックリソースがない状態では、現在を我慢してリソースを未来に回すということすらできないことが指摘される。この主張を軸にした組織におけるスラックリソースの先行研究がレビューされているわけである。
文献レビュー箇所の最後で、Kim et al. (2019)は、レビューした3つのテーマを踏まえると、先行研究では、組織は現在と未来との時間のトレードオフとしてサステナビリティ問題について扱うことが可能だという前提を置いてしまっていることを暗に批判するのである。しかし3つ目のテーマで扱っている通り、リソースが欠乏しているがゆえに時間のトレードオフとしてサステナビリティを扱うことができない組織が存在するので、そのような組織がどのようにしてサステナブルな運営が可能になるのかについて探究することが本研究のリサーチクエスチョンなのだとしている。
ここまででKim et al. (2019)が行った研究そのものについて深く説明するお膳立てができた。次回以降でエスノグラフィーそのものについて解説していく。
文献(教材)
Kim, A., Bansal, P., & Haugh, H. (2019). No time like the present: How a present time perspective can foster sustainable development. Academy of Management Journal, 62(2), 607-634.