AMJ論文に学ぶトップジャーナル掲載のための研究方法と論文執筆スキル(質的研究編7)

本編では、AMJに掲載された質的研究論文であるKim et al. (2019)を教材として、質的研究をトップジャーナルに載せるための研究方法や論文執筆方法について解説している。前回までで文献レビューの箇所まで説明した。今回は、いよいよ質的研究としてのエスのグラフィーの研究方法の説明に入っていく。

Kim et al. (2019)が実施した質的調査の特徴

質的調査には様々な種類があるが、Kim et al. (2019)が行ったのはエスノグラフィーと呼ばれる手法である。これは文化人類学などでよく使われる手法で、現地のことをあまり知らない研究者が現地に入り込んで一緒に過ごしながらフィールドワークを行うことでそこで何が起こっているのかを観察して現地の人々の視点や世界の見方を理解する方法である。エスノグラフィーとはなんたるかを詳細に議論するスペースはここにはないので、以下にごく簡単に解説する。

 

まず、押さえておくべきコンセプトが、「内側からの視点や世界観」と「レフレキシビリティ(自己省察)」である。客観的世界を前提とする多くの数量的研究では、あたかも神の視点から対象を見るかのように客観的に調査をデザインすることが望ましい。すなわち、誰が見ても真実と思えるような理論や法則性、そしてそこから導出される仮説を調査によって検証しようとするプロセスを踏むことが重要である。誰が見ても真実と思えるような思考ツールの代表例が数字や数学である。であるから、数量的研究では、誰から見ても適切だと言えるように測定に基づく数量化を通してデータが収集され、数量化された変数間の関係を誰から見ても同じ結果となる数学的操作によって明らかにする。つまり、数量的研究では、調査を行うプロセスで変数を測定してデータを取得するためのツール(デバイス)自身には主観的なバイアスがなく、客観的に数値化が可能なものであるという前提がある。

 

一方、多くの質的研究では、必ずしも神の視点や客観的世界を想定しない。調査者の内側から見た世界や、現地の人たちの内側から見た世界など色々な世界が存在すると考える。そしてとりわけエスノグラフィーの目的は、外部の調査者が、現地に入り込むことによって現地の人々の中に映っている世界を理解することにある。現地の人々は、自分が内側から見ている日常的な世界は当たり前すぎて言葉にできないが、外部からやってきたがゆえにその世界を知らないが言語化能力に優れた調査者がエスノグラフィーを実施して現地の人々のものの見方、考え方を理解して言語化することで、その言語化された世界に、(外部の視点から見て)新しい発見が含まれていると考える。現地の人々にとっては当たり前のことなのだが、現地の人々の内側から見た世界を知らない外部の人々にとっては驚きや新鮮さが含まれた発見となりうるのである。

 

しかし、調査者は、調査を始める時には当然のことながら現地の人々に世界がどう映っているのかを知らない。知っているのは、調査者自身の内側から見た世界であったり、現地とは異なる地域にいる人々の世界観(もしすでに研究がなされていれば)である。また、客観的に変数を測定しようとするツールを用いる数量的研究と違って、質的研究の場合、調査者自身がデータを取得するツール(デバイス)でもあるから、調査者が持っている世界観やバイアスがデータ収集やその解釈に影響してしまう。客観的なツールではなく、調査者がインタビューや観察を通して「主観的に」物事を認識したり解釈したりしてデータとして記録していくわけである。とりわけエスノグラフィーでは、調査自体が主観的であるということから逃れることはできない。

 

であるから、調査を開始する時点では、調査者はどうしても現地やそこにいる人々の物の見方、考え方に対して様々な先入観やバイアスを持って調査を行うことになるし、これは無意識的なプロセスを含むので避けることができない。したがって、調査を進める中で、そこで得た経験、感じたこと、得られたデータを同時並行的に振り返ったり読み返したりしながら、自分自身が内側から見ている世界観、そこから生じる意識的、無意識的な先入観を修正していくプロセスが必要不可欠である。これを「レフレキシビリティ(自己省察)」という。自分が持っている先入観にこだわり続けていたら、現地の人々の内部から見た世界を理解することなどできないということを認識しておくことがとても重要である。

 

フィールドワークのような現地に入り込んで行う質的調査では調査を進めながら自己省察することによって自分が世界を理解する仕方の調整、当初に有していた先入観やバイアスの除去・修正が必要不可欠であるから、質的研究の調査デザインには柔軟性がないといけないのである。データと自己省察を行ったり来たりを反復しながら現地の人々に映っている世界が徐々にわかってきて、そこに何か重要な発見がありそうだと感じた場合には、それをさらに掘り下げるためにインタビューの質問内容を変えたり、観察する対象を変えたり、集める資料を変えたりするのである。このようなプロセスを繰り返していれば、1ヶ月や2ヶ月はあっという間に過ぎてしまうだろう。その間に、これまでの人々のものの見方、考え方、研究対象の理解の仕方を変えてしまうような革新的な発見の種や兆しを見つけることができるかが勝負である。データ分析はフィールドワーク終了後も延々と続くことになるが、まずは、発見の種や兆しを得ることが大切である。

Kim et al. (2019)による質的調査の内容

それでは、本論文のMethodのセクションでどのような記述がなされているかに注意を向けながら、Kim et al. (2019)のエスノグラフィーの調査方法と調査内容を確認していこう。

調査期間

論文では、2010年に2ヶ月かけてエスノグラフィーが行われたと報告されている。このエスノグラフィーを行った第一著者は、その前に8ヶ月かけて東アフリカの文化や言語や開発状況についての理解を深めるためのトレーニングに参加したと述べている。つまり、事前トレーニングを含めて調査自体に1年以上費やしている。そして、この論文が掲載されたのが2019年だから、少なくとも調査を開始してから論文として掲載されるまで10年近くかかっている。

 

トップジャーナルに質的研究を掲載させようと思えば、これだけ長い時間がかかることは珍しいことではない。質的調査の場合は数量的調査よりも論文の執筆や掲載までに時間がかかることは一般的であり、1本の質的研究をAMJに載せるだけの労力と時間で2〜3本の数量的研究をAMJに掲載することが可能だといっても過言ではないだろう。もちろん、それゆえに、質的研究が学術に与えるインパクトは、数量的研究のそれよりも大きいともいえそうである。それは、既存の理論から出発する演繹的な方法では生み出せないような知識創造が可能だからである。なので、同じ労力と時間をかけた後の学術への総合的なインパクトは、数量的研究も質的研究もほぼ等しいと言って良いかもしれない。


余談であるが、この論文関連でインターネットを使ってよく調べてみると、2015年のAcademy of Management年次大会でおそらくこのエスノグラフィーに基づいて作成されたと思われる論文が発表されていることが分かる。要約のみの掲載だが、それを見る限りでも掲載論文の内容と相当異なっているので、その時点からさらにかなりの改訂が行われたと思われる。
https://journals.aom.org/doi/abs/10.5465/ambpp.2015.12382abstract

調査手法とデータ収集

本シリーズの数量研究編では、異なる調査手法を組み合わせて研究結果の妥当性を高めることの重要性を紹介した。この基本原理は質的研究においても変わらない。特に質的研究では、これをトライアンギュレーション(三角測量的アプローチ)と呼ぶ。それぞれの調査手法は、長所もあれば短所もある。それに、質的研究のようにまだ未開の対象を探索するような調査の場合は、1つの調査手法で照らし出す部分は、どこから光を当てるのかも含めて限られている。異なる視点や視座から光を当てると、同じ研究対象でも別の側面が照らし出されるかもしれない。なので、少なくとも三方向から同じ対象を照らしてみると、その対象の全貌がわかってくるというのがトライアンギュレーションの基本理念である。

 

Kim et al (2019)に関して言えば、エスノグラフィーという1つの長期的なフィールドワークの中で、異なる調査デバイスを用い、多角的な視点から異なるタイプのデータをできるだけ多く集めることで、そこで活動する人々に映っている世界を理解しようとしたわけである。具体的には、現場の観察やインタビュー調査であるが、とりわけ興味深いのは、そこで働く人々が描いた描画をデータとして収集していることである。これは、言葉で表現しにくいものでも描画すれば伝わることや、この地域では女性が話すことをあまり奨励していないがために言葉よりも描画の方が伝えやすいなどの事情を考慮したものである。その他、フェアトレードに関する二次情報を膨大に収集したと報告している。

 

Kim et al. (2019)の表1を見ていただくと、収集したデータの全貌が分かるが、それが膨大な量であることは一目瞭然である。この研究のメインの発見が、「時間概念において、幅を持った長い現在というものがある」というたった一言で集約できるようなものであるのに、その結論を導き出すためにこれだけ膨大なデータを集めたのかという驚きを素直に味わってほしい。そして、これだけのデータを集めるのにどれだけの労力と時間をかけたのか想像してみると良い。その驚きはポジティブな驚きであるから感動と言い換えることもできる。この点は優れた研究の特徴でもあるので強調しておきたい。つまり、優れた研究というのは、いろんな側面(ここでは調査方法や収集したデータの量)において読者に驚きや感動を与えるものなのである。

 

さて、次回は、Kim et al. (2019)が行ったエスノグラフィーの説明の続きとして、データ分析の方法以降について解説する。

文献(教材)

Kim, A., Bansal, P., & Haugh, H. (2019). No time like the present: How a present time perspective can foster sustainable development. Academy of Management Journal, 62(2), 607-634.