保城(2005)によると、「理論」とは一般的に以下のように定義される。「繰り返して現れる(と考えられる)個々の現象を統一的に、単純化・抽象化されたかたちで説明でき、十分に検証もされている体系的知識」。この意味で、理論構築を目指す研究は、「法則定立的(nomothetic)」なアプローチをとることになる。しかし、例えば歴史学では、特殊かつ一回限りの現象に注目してそれについて厳密な分析を行う「個性記述的(idiographic)」な研究が多い。後者では、人間がつくりだす社会の歴史に類似したパターンなど現れようがないという発想が背後にある。
自然科学では一般的な法則定立的なアプローチは、社会科学においては大きな困難にぶち当たる。保城は、その証左として次のような例を挙げる。まず、「予言の自己否定性」「予言の自己実現性」「理論の現実消失性」がある。これらは、仮になんらかの社会法則が発見されたとしても、その法則が社会全体に広まって万人が知悉するようになれば、当該法則が説明する社会行動自体が変化してしまうことを示している。予言の自己否定性は、社会でその法則性の実現を阻む行動が生まれる可能性を指し、予言の自己実現性は、その法則を多くの人が信奉することによってその法則に合致した社会行動が生まれる可能性を指している。理論の現実消失性は、その現象自体の再起を防ごうとする社会行動が、その現象自体の消失を招くことを指している。自然科学では対象が心をもたない物体であったりするので、そのような現象が起こる可能性はほとんどない。
よって、社会科学者としては、社会現象に類似したパターンが認められ、限定的であるが時代横断的な比較と一般化は可能であるという前提をある程度は受け入れつつも、時代と空間に左右されない理論などありえないという視点も維持すべきある。よって、特定の時代と空間に限定された範囲の中でのみ通用する理論を構築することを目指すという発想が生まれてくる。このような理論を、マートンの言葉を借りれば「中範囲の理論(theory of middle-range)」と呼び、ギャディスの言葉を借りれば「限定的一般化(limited generalization)」と呼ぶのだと保城は説明する。つまり、冒頭に一般的なものとして定義した「理論」を社会科学において追及することはいささか理想的すぎるのであり、社会科学において目指すべきものは「中範囲の理論」なのではないかという視点を保城は投げかけるのである。