これまで「AMJ論文に学ぶトップジャーナル掲載のための研究方法と論文執筆スキル」として、本編で基礎を学び、2つの演習をこなしていただいた場合、数量研究についてはトップジャーナルに掲載されるための経営学研究の実践および論文執筆の要点をある程度マスターできたと思う。さて、今回からは、質的研究をトップジャーナルに載せるための研究方法や論文執筆において、AMJに掲載された質的研究を教材として解説していくことにする。
今回教材とするのは以下の論文である。これ以降、本論文をKim et al. (2019)と表現する。例によって、大学や個人でこのジャーナルを購読していたりAcademy of Managementの会員であれば出版社版が入手可能であるが、アクセプトされた最終原稿については、ネットを検索することで見つけることができる。これは、ジャーナルごとのオープンアクセスポリシー(学術研究の成果は公共財であるため万人がアクセスできるべき)によって一定の制限事項付きで許されている方法である。
文献(教材)
Kim, A., Bansal, P., & Haugh, H. (2019). No time like the present: How a present time perspective can foster sustainable development. Academy of Management Journal, 62(2), 607-634.
留意事項
本題に入る前に、質的研究の実践や論文執筆は、数量的研究と比べるとかなり難易度が高いことを知っておいてほしい。例えば、あなたが難関大学を目指す受験生だとして、出来栄えを正誤など数値化しやすい数学、理科、歴史、英語などで構成される入試と、出来栄えそのものが質的であるため点数をつけにくい小論文、実技、面接などで構成される入試があるとすると、どちらを選択するだろうか。おそらく、正誤に基づく点数として数値化しやすい入試科目のほうが対策が立てやすいのでそちらを選ぶ可能性が高いだろう。数値化しやすい科目は正解が1つに定まりやすいので、正解にたどり着くための公式や解法をマスターすることで合格可能性が高まることが自覚できる。
一方、出来栄えが質的で数値化しにくい科目は、合否の基準が分かりにくいので対策が立てにくい。また、数値化しやすい科目は正解が1つに定まりやすいが、質的な科目は唯一の正解はなく、良い出来栄えといってもいろんなパターンがあるように思えてくる。実際の大学入試の場合には、それでもなんらかの客観的な基準を定めて採点し、最終的には点数化して合否を決めるだろうが、学術研究の場合はそんなに単純ではない。数量的研究と比べると、質的研究の場合、何が優れた研究で、どのような論文の構成や執筆方法が優れているのかについての判断基準にある程度の多様性があるがゆえに、数量化研究のように優れた研究や論文執筆方法の要点をクリアに定めることが難しい。
数量化研究と質的研究でこのような違いがある理由は、数量化研究のほとんどが仮説検証型で、質的研究の多くが新たな発見や新しい仮説・理論を構築するものであるからである。数量的研究において仮説が妥当かどうかを経験データを用いて検証する方法は手続き化しやすく、同じ手続きで追試をすれば同じ結果が得られるかという再現性の視点で評価しやすいので、その手続きや分析が適切かどうかの判断がしやすい。一方、ニュートンの「りんご」の話とか、アオカビからペニシリンが発見された話のように、現象の観察を通じて何か新しいものを発見したり生み出したりする方法というのは手続き化するのは困難であり、ニュートンと同じ行為をしたら同じ発見が得られるなんてことはあり得ない。つまり、再現性を軸にした適切性の判断は困難である。よって、どんなやり方が適切なのかの判断が難しい。つまり、質的研究については、優れた研究の実践方法や論文執筆の方法が数量化研究ほどには特定のパターンに収斂していかない。
ただ、少し警鐘を鳴らしておきたいのは、質的研究であっても、特定の手続きを踏んでデータを集め、特定の手続きでそのデータを分析すれば、そこから何か新しい発見が得られるといったようなトーンで質的研究の方法論が解説され、それに飛びつく研究者が後を絶たないような気もしていることである。これは、上記に述べた数量的研究の再現性の判断基準を質的研究の適切性の判断基準と混同してしまっているケースで、まじめな研究者ほど、そのように「努力して言われたとおりにやれば報われる」的な方法に惑わされやすいので注意が必要である。学術的・実践的に大きなインパクトを与えるような発見や創造は努力だけでは実現しないことは確かであって、こればかりは、見本となるよい論文をたくさん読み、実績のある研究者との共同研究などを通したOJTを含め、とにかく実践を積み重ねることでマスターしていくほかはない。
これまで説明したとおり、トップジャーナルに掲載される質的研究といっても、その研究方法や執筆スタイルなどは多様である。とはいえ、優れた質的研究や論文とそうでない質的研究や論文を見分ける判断基準については学術界である程度の合意はとれることから、今回のシリーズでは、そのような要素を中心に解説していくことになる。であるから、今回教材として用いるKim et al. (2019)が、あらゆる質的研究者にとっての研究方法や論文執筆スタイルのお手本となるというわけではないことにご留意いただきたい。あくまで優れた質的論文の多様なパターンの1つとして理解していただき、とはいえ、別のパターンであってもトップジャーナルに掲載させるためには外せないポイントをこの論文の解説からマスターしていただければ幸いである。
余談が長くなってしまったが、今回の最後に、本論文から学べることを簡単に整理しておくと、以下の通りとなる。
- 優れた質的調査の行い方
- 論文での質的調査の記述の仕方
- 質的調査から得られた発見と先行研究との接続の仕方
- 論文全体のフレーミングとクラフティングの方法
本論文の読み方
本論文を数回読んだうえで次回の講義に臨んでいただきたい。質的研究の論文は数量的研究よりも分量が多く、読むのに時間がかかるかもしれないが、少なくとも精読を2回行ってほしい。大事なポイントとして、以下の方法で読んでいただきたい。第1回目は、ゆっくりと時間をかけて、丹精込めて練り上げれたこの素晴らしい作品を味わってほしい。つまり、まずはこの論文の読者として、あるいはこの論文が生み出した知識の消費者として、あたかも小説を読むかのように作品を楽しんでほしいということである。もし、1回だけでこの論文の良さが実感できない場合は、もう一回、同じように時間をかえて味読するのがよい。
ゆっくりとこの論文の良さを味わいながら読み、余韻が残るくらいにこの論文の良さを感じ取れたら、こんどは質的研究を行う研究者の視点に立って、どうすればこんな素晴らしい論文が書けるのかについて自問自答しながら、もう一度この論文を読み直してほしい。つまり、最初は学術知の消費者の視点で(小説の一般読者のようなつもりで)で読み、次に、学術知の生産者の視点で(駆け出しの小説家として、どうしたらこんな小説が書けるのかを学んでやろうというような視点で)読むわけである。読み進める際には、これまで行ってきたトップジャーナルに向けた論文作成のためのチェックリストを兼ねた演習問題と対応する以下の質問に対する答えを考えながら読み進めていただくとよいだろう。以下のチェックリストはこれまで用いてきてものを質的研究の要素を考慮して若干修正したものである。
- Kim et al. (2019)を読む前と論文を読んだあとで、研究対象となっているテーマについての考え方がどう変わるか
- Kim et al. (2019)では、研究テーマに関する先行研究をどのように批判しているか
- Kim et al. (2019)の研究の核心となる問いは何か
- Kim et al. (2019)が質的調査を通して得た発見や構築した理論のどこが新しいか
- Kim et al. (2019)は、どのような形で新規性の高い発見や理論を導いたのか
- Kim et al. (2019)による発見や新たに導いた理論はどのような形で実践に役立つか
補足質問
- Kim et al. (2019)のタイトル・abstractに工夫はあるか
- Kim et al. (2019)の序論の構造はどうなっているか
- Kim et al. (2019)の実証調査におけるデータの開示状況はどうなっているか
- Kim et al. (2019)では、どのように図表を配置しているか
- Kim et al. (2019)の考察部分はどうなっているか