自然科学と社会科学・人文科学の違い

自然科学は、厳密にいうと違うかもしれないが大雑把に言ってしまえば、人間の活動の影響をうけない、あるいはそれとは独立して存在する自然法則を追究する分野だといえる。ある意味、「神」の視点から自然法則を研究するもので、人間がいようがいまいが、変わらず成立する自然法則を追究する。そして、それを追及する方法は、地球規模でかなりのコンセンサスが得られている。つまり、何が適切な研究方法なのか、何が優れた研究成果なのかについてのパラダイムが強固であるということだ。


これは何を意味するかといえば、学問のグローバル化が非常にしやすい分野だということだ。主に、数学という共通言語を基礎とし、決められた方向に向かって自然現象の解明を突き進んでいけばよいということになる。そうなると、研究機関ごと、国や地域ごとの競争や評価基準も比較的明確に設定しやすい。「学問としての進歩」の方向性や判断基準が比較的明確である。つまり、研究方法や競争の方法事態に疑問を挟む余地が小さいので、自然科学系の研究の場合には、決まったやり方で成果を出すことに注力すればよい。それを効果的に行うための方策(研究者の育成の仕方、調達の仕方、予算のあり方など)を考えればよい、ということになる。


しかし、社会科学や人文科学は、それとは少し違う。社会科学や人文科学は、人類の営みそのものが研究対象となる。そうなると、必ずしも、一定の研究方法で突き進んでいけばよいということにはならないのである。上記の自然科学の方法を含めて、人類の活動のあり方に「疑問を挟む」ということ自体が重要な研究活動でありうる。人類がいようがいまいが変化しない自然法則を追及するのではなく、人類が存在し、活動することが大前提である。かつ、以前述べたように、構築した理論やモデル、思考枠組みが、研究対象としての人々の営み自体を変えてしまうという特徴も併せ持っている。このような中で、学問領域としての「進歩」を単純に定義しにくいし、「進歩」自体がよいことなのかどうかも問われる必要がある。例えば、ある「方向」で、特定の学問が「進歩」し、その結果、社会や人々が大きく変わったとすると、果たしてそれが本当に良いことなのかということは別途判断しなければならない。だから、学問領域としての進歩をとらえるうえで慎重にならざるをえない。


だから、社会科学・人文科学に関していえば、各研究機関、各国、各地域が、単純に研究分野のグローバル競争にまい進するということ自体が適切なのかどうかが問われるのである。研究分野に対する自己批判や反省も含みながら、あるいは他国、他地域の研究方法に対する疑念や疑問を呈しながら、ある意味行ったり来たり、足踏みしながら進んでいくようなもので、そのような反省や批判もなく妄信的に特定の方法論に沿って研究にまい進することは、確かに、ある一定の基準においてはグローバル競争に勝つことになるかもしれないが、それが人類にとって本当の学術的貢献をしているのかという点については疑問を呈せざるはえないであろう。