ダイナミックな「流れ」としての生命

福岡(2007)は、生命を「自己複製するシステム」であると定義したうえでそれに疑問を呈し、「生命とは動的平衡にある流れである」という考え方を展開する。これは、私たち生命体の身体はプラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っているという考えである。言い換えれば、生命とは要素が集合してできた構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果なのだという。


福岡によれば、生命には、絶え間ない流れによってもたらされる「動的な秩序」があり、生命を構成する分子はそれがたとえいかなるものであっても流れの掟から逃れることはできないという。生命は、現に存在する秩序がその秩序自身を維持していく能力と秩序ある現象を新たに生み出す能力を持っている。


生物学的に言えば、身体のありとあらゆる部位、臓器や組織だけでなく、骨や歯ですらもその内部では絶え間のない分解と合成が繰り返され、入れ替わっている。すべての原子は生命体の中を流れ、通り抜けている。そこにあるのは流れそのものでしかないと福岡は言うのである。


肉体について、私たちは外界から隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルでは、私たちの身体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかもしれは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ことであるというわけである。


そして福岡は、生命は実体として存在するのではなく、流れが作りだす効果としての平衡状態である「動的平衡」だという考えを紹介するのである。