数学と音楽と美的感覚と「流れ」

加藤(2008)は、数学が持つ美しさには、対象性やシンプルさといった「空間的」なもの(視覚的なもの)の他に、「時間的」なものがあると思うという。それは特に、証明などの「論理」の構造に感じられ「流れ」として認識される。例えばユークリッド幾何学の芸術性については、もっとも「美しい」論理の流れをユークリッドが選択したと解釈することもできる。自然に感じる論理は、論理展開の中に自然な流れが感じられるからだという。これを組み合わせてできた証明や論文は、幾層もの流れが絡み合ってできており、それは「音楽」に似ているという。


よって、証明などの「論理の成り行き」に注目すると、その美しさとは、「流れ」を感じさせるものであると言えるだろう。加藤は、数学の論文などでいろいろな証明を読むと、時折それがバッハ的であったりワグナー的であったり感じることがあるという。何か心地よい(そしてしばしば意外な展開を見せる)流れを持った証明を読んだりすると、そこに音楽的なものを感じるというのだ。


また加藤は、逆の言い方をすれば、美しい音楽、自然な流れを持った音楽というのは、それだけ「論理的」であり「整合的」であるということではないかと思うのだという。よって数学の美しさと音楽の美しさ、さらには数学の論理性と音楽の論理性の間にはなにがしかの極めて密接な関係があると思うという。