黄金の相場学

相場は、つまるところサイクルであり、そのサイクルにはパターンがある。そのパターンを見分けることが、マーケット予測を行ううえでの要諦でもある。株価であれ、為替相場であれ、あるいは商品相場であれ、相場商品はいずれも似たような値動きをする(若林 2007:5)。


相場は、それを動かす理由(材料)があり、その影響を受けて動くものだと、多くの人たちは誤解しているが、実際はそうではない。相場は、あくまでも「そうなるもの」であり、材料は後からついてくる(若林2007:23)


マーケットの流れは移ろいやすく、その潮目をきちっと見極めないと、損失を被ることになる。その潮目を教えてくれるのが、チャートだ。「相場のことは相場に聞け」などとも言われるが、チャートこそ、まさに相場そのもの。・・・相場は循環であり、ある種のパターンを繰り返す(若林2007:29)。

わたしは、相場の見通しは相場に聞くのがいちばんだと考えている。相場は同じことの繰り返し、つまり循環だから、まずはある程度、パターンを把握しておく必要がある。ただ循環とはいえ、相場は常に変装する。常に同じパターンで動いたら、誰でも儲けることができてしまうので、そうならないに、相場自体がいろいろと変装してくるのだ。そして、その変装を見破るためには、何か基本的なルールをもって相場に対峙しなければならない。・・・極論すれば、まずは相場ありきであって、材料はどうだっていいのだ。・・・相場はあくまでリズムで動くものであり、材料は後からついてくる。・・・相場が動いた後から、納得させられるような材料がついてくる。そして、「やはりそういうことだったのか」となるのだ。・・・相場は循環で説明すべきであり、構造で語ってはならない(若林2007:192-194)。


ドルの「3年上げ5年下げパターン」もそのひとつだ。目先の値動きだけを追っているとなかなか気づかないが、変動相場制に移行してから現在までという大局的な流れを追っていくと、こうしたルールがあることに気づく。また、大局的な流れだけでなく、目先の値動きにも一定のルールがある。なかでもいちばん大事なことは、プライスと時間の整合性だ(若林2007:196-197)。

コメント

相場の流れそのものは、相場への参加者が一緒になってつくっていくもの(社会的に構築していくもの)であると考えられる。参加者が、過去からの相場の流れを観察し、将来に向けて、様々な予測や期待を抱きながら取引に参加しており、相場の動きをみながら自分の予測や期待も調整するというフィードバックも働いているので、みなが上がると思えば上がり、みなが下がると思えば下がる、そしてそれがときおりオーバーシューティングを伴う、という相場の循環的な流れができてくる。そこで、その時々でその相場の動きにあった材料が取捨選択され、その相場の解釈として(半ば後付けで)用いられるのであろう。そのようにしてとりあげられた材料が、あたかも、相場を動かしている真の要因であると錯覚してしまうのである(本当は参加者がみなで相場を動かしているだけなのにもかかわらず)。相場の流れをいままでつくってきたのも参加者、そしてこれからつくっていくのも参加者。だから、相場は相場に聞けとは、参加者がいままでどう思ってきて、これからどうなっていくと読んでいるのかを洞察するということになるだろう。


材料とは関係なく、参加者が相場の流れを作っている(そしてあとから材料がついてくる)といっても、まったく実態的な構造(材料)とかけ離れた相場がつづくはずはない。実態とかけ離れていれば、理由付けする材料もなくなってしまう。だから、どこかで参加者が、現実(材料)とあまりにもかけ離れている(自分達の判断や予想はどうも間違っている)と思い始めると、みんながいっせいに、慌てて相場の流れを軌道修正しようとする。そんなときに相場としては暴落や高騰が起こったりすると思われる。