自分のなかの<あいつ>

どんなに努力してもなかなかうまくいかないのに、ある偶然で素晴らしい演奏ができることがある。それはたまたま自分以外の誰か、つまり<あいつ>がやってきて、その<あいつ>がそこにいたからこそできた演奏だ、という以外に表現のしようのない・・・演奏しているのは確かに自分たち以外にはいないのだけれど、しかし自分たち以外の何者かにつき動かされてできた素晴らしい演奏。


<あいつ>がやってくるとはどういうことか。小室の言い方によれば「自分が演奏しているのではなく、自分が演奏させられていること」だという。キャリア転機についても同じである。自分自身を客体化し、自分のキャリアに何が起きるかについて、我ながらに好奇心をもって、ことにあたる気持ちが大切である。自分ひとりですべてが決められるわけではないし、すべてがなしうるわけでもない。そう見極めたときにむしろ、自分で把握できている自分自身の能力や才能の、その範囲をこえた出来事が起きることもあるのである。
榊原(2004)

自分でやっているのだが、そのうち、自分の実力以上のものが、誰か(何か)によって引き出され、誰か(何か)によって自分が動かされている(動かしてもらっている)という感覚だろうか。自分は生きていると同時に、生かされているという視点と似ているのだろうか。