組織のカルチャーが実在する条件

会社や組織にはカルチャーがある。たしかに、カルチャーは実在する。例えば、はじめての組織を訪れたときに、そこのカルチャーを感じる。自分の属している組織のカルチャーに自分が染まっているな、ということを時折実感する。


この「カルチャー」は、自分が主観的に感じているなにものかではない。確かに、自分の外側に存在する。カルチャーは、人々の主観なのではなく、人々に共有された価値観やシンボルや意味の体系として、人々の外側に、実在する。しかし、人々の外側に実在するといっても、「石ころ」のような物体とは少し違う。


組織のカルチャーは、石ころのように、誰が見ても同じような形に見えるわけではない。人によって、感じ方やとらえどころがだいぶん違っていたりする。誰もが納得するような「客観的」な記述は不可能なように思われる。そう、たしかに、カルチャーは「客観的」ではない。では、主観的か。それも、先に述べた理由で違う。人々の主観(内側)ではなく、人々の外側にある。では、客観的でもなく、主観的でもないというのはどういうことか。それは、主客の概念を超越して考えるべきであることを示唆する。


それは、カルチャーというものは、人々の外側に存在するのだけれども、それは、そのカルチャーを主観的な観点から意味づける当事者としての人々なしには実在不可能なものなのだ。つまり、主体と客体が一体化しており、分離不可能な中にカルチャーが実在しているのである。カルチャーは、それに関わる人々の存在を離れては実在しえないものなのである。