「系統樹思考」とは何か

この世の森羅万象をいかに体系化し、理解するかは人類共通の課題といってよいだろう。私たちが、多様なものを整理し、知識として体系づけようするのは自然な行動である。これに関して、三中(2006)は、生物学における進化思考をより一般化し発展させた「系統樹思考」を紹介する。三中によると、「系統樹思考」とは、対象物をデータ源としてその背後にある過去の事象(分岐順序や祖先状態)に関する推論を行う思考である。わかりやすくいえば、時空的に変化し続ける対象物を理解するための「タテ思考」である。ここでいう「系統樹」とは、さまざまなもの(生物・無生物)を系譜に沿って体系的に理解するための手段であり、系統樹思考は、そのような体系的理解をしようとする思考態度だといえる。つまり、系統樹思考とは対象物の間の系譜関係に基づく体系化を行おうとする思考で、もともとは、生物学の世界において多様な生物がどのように進化し現在に至っているのかを考える生物系統学から派生している。

 

系統樹思考は現代生物学がもたらしたものではあるが、これは私たちの文化、思想、社会にまで射程を広げつつある「思考法の変革」でもあると三中はいう。なぜならば、自然界のみならず日常生活の中でさえ、私たちの目の前にはさまざまな出来事や物事が現れては消えていくが、そのような「もの」や「こと」はてんでばらばらに生じてくるのではなく、なにか相互に由来関係があるのではないかと問いかけるべきだからである。由来関係が見つかり、系統樹が書けたのであれば、現在私たちが見ているものの背後には過去からの系譜の流れがあることがわかり、その流れにそってさまざまな特徴の変化のありさまをたどることができるのである。

 

そもそも私たちは雑多な物をそのまま呑み込んで理解できない。よって、多様性を体系化する方法の1つである系統樹思考が役に立つのである。例えば、生物と無生物に関係なく、自然物と人造物のいかんを問わず、時間の経過とともに、過去から伝わってきた「もの」のかたちを変え、その中身を変更し、そして来たるべき将来に「もの」が残っていくのが世の常である。私たちが気づかないまま、身の回りには実に多くの(広い意味での)「進化」が作用し続けている。よって、生物であろうと非生物であろうと、系統樹という表現手段によって、祖先から子孫への由来の関係を図示することができる。つまり、生物だけにかぎらず、もっと広い意味での「進化」を見る視点が、系統樹思考なのである。

 

三中によれば、生物学では、それぞれの対象がたどってきた系譜を、系統樹という図像により表現し、その図形言語をコミュニケーションの手段として、対象に関するさまざまな議論を交わし、仮説や理論をテストしたり鍛え上げたりしてきた。しかし、系統樹に基づく系統樹思考は、生物進化を描くツールとしてだけでなく、もっと広い自然科学と人文・社会科学を含む分野にも、さらには私たちの日常的な生活世界やものの考え方にまで、深くその根をおろしているという。つまり「系統樹」は、もはや文系、理系を問わず、諸学問の「壁」を越えた共通言語としての地位を固めつつあると三中はいうのである。ツリーやネットワークを用いた進化学的、系統的な思考法は、対象物を選ばないという点で普遍的な性格さえ帯びているというわけである。よって、まだその言語が浸透していない分野でも、系統樹に基づく問題解決を試みてみようとする機運が高まる可能性があるということである。

 

さて、系統樹思考では、時間軸を含めた歴史的な出来事を「科学的」に理解していこうとする。系統樹が観察データを説明するとは、観察された形質状態の分布を系統樹の上での形質状態の変化(進化)の結果として説明するということである。ここで問題となるのは、科学的とは何かということである。歴史科学を射程に入れる三中は、物理や化学などの多くの自然科学のような実験や再現性が可能となることを科学の条件とはしない。現在入手可能な様々な観測データからどのように過去を復元するかを、アブダクションという論理を用いて推定するのも科学である。過ぎ去ってしまった単一の歴史的事象はもはや再現できない。そこで、データの比較に基づく歴史推定、すなわち比較法に基づくアブダクションが用いられるわけである。

 

実験や再現性を確認できない歴史的事実といった現象を科学的に理解する上では、利用可能なデータに照らし合わせて、データを最もよく説明するような仮説を選ぶという作業がメインとなると三中はいう。仮説や理論の「真偽」を問うのではなく、観察データのもとでどの理論が「より良い説明」を与えてくれるのかを相互比較するということである。これがアブダクションである。三中は、経験科学としての歴史、歴史は実践可能な科学であり、それを支えているのが系統樹思考だという。よって、生物学にとどまらず、言語、写本、民俗、文化、異物など、自然科学・人文科学の壁を越えた「比較法」に関する共通点を探ることにより、歴史を推定し過去を復元するという歴史科学の共通の方法論を確立することができるだろうと三中は期待している。

 

科学的なアプローチによって、データをうまく説明できるベストの系統樹を選ぶということは、あらかじめ設定した最適化基準のもとで、今あるデータに照らして、候補となる複数の系統樹の間の相対ランキングをつけ、最上位のランクの系統樹を選ぶということである。このように、ベストの系統樹を探し求めるというアブダクションの作業は、形質データから出発して目的関数の値を徐々に最適化する方向に山登りするという、網羅的探索あるいは発見的探索によって最適化問題を解くことに他ならない。そして近年では、系統樹の数学によって、系統樹を用いた方法論が一般化、抽象化されるようになっていると三中はいう。

文献

三中信宏 2006「系統樹思考の世界」(講談社現代新書)