研究者の人生観と学問

川勝(2003)は、生きた知識は人間から超然としておらず、研究者各自の人生観が、意図するしないにかかわらず、学問からこぼれでて見えるのだという。もちろん、知識に裏付けされない情熱は無謀であり、情熱のない知識は空虚だという。


価値観、人生観、世界観はだれもが持っているが、感情むきだしで自己主張するのではなく、理論・統計・歴史によって根拠づけ、批判に耐えるものに仕上げる営為が学問なのだという。最初は直観でも、現実に根ざしていれば、論理的にも、統計的にも、さらに歴史的観点からも実証できるはずなのだと川勝はいう。


川勝によれば、個人の価値観、人生観、世界観が学問になると共通認識となり、公共性を帯びてくる。主体は主観を離れてはありえず、主観を私的空間から解放し、主体が公共性を獲得するのが学問的営為である。公共性とは常に反証に開かれていなければならない。そもそも「反証することのできないような理論は科学的理論ではない(カール・ポッパー)」というのが学問の真実なのだというのである。なぜ反証できるかは、現実が多様だからである。異なる現実があるからであり、あるいは新しい現実が生まれてくるからだという。つまり、現実が歴史的なのである。


経済史研究に関していえば、身につけるべきは(1)問題意識、(2)試料・資料、(3)先行学説だと川勝はいう。そして、研究の手がかりを探しあぐねている場合は「面白い!」と思った人の作品を、全部読み切るのが最良にして最短の方法だという。共感できる学者(の学説)を媒介すると、その学者の学問体系に即して問題意識、研究方法、研究成果を理解できるのだという。もちろん、いかに共感しても、他人の学説を吹聴するだけでは模倣者であるから、読んでいるうちにどこかしっくりこない箇所や違和感を大切にするのだという。


違和感をじっくりとほぐして疑念にしていき、関連する資料や学説を探して、違和感の根拠づけを丹念にする。違和感は自分の主張であり感性的な認識である。感性(パトス)を論理(ロゴス)に高める作業が大切なのだという。