英語を鍛える

羽田(2011)は、地球市民のための世界史を記述する言語について、英語の問題を取り上げ、「英語を鍛える」という視点を提供している。これは世界史に限らず、その他の学問における記述にも共通する要素を含んでいると考えられる。


羽田によれば、世界中のすべての言語は、語彙や表現に多くの共通点が見られるとはいえ、独自の意味や価値の体系を持っている。現代世界で共通語となりつつある英語とてそれは同様である。英語は、英語を母語とする人々の世界観や価値観が表現しやすい単語と構造を持っている。それゆえ、異なる単語や構造を持つ日本語の文章を英語の文脈、意味や価値の体系に合わせようとすると、元の言葉の意味が変わってしまったり、うまく伝わらなかったりすることがあるのだという。


最初から英語で書くということの問題は、現段階の英語の意味や価値の体系を受け入れ、その枠の中で議論することになる。英語を含むヨーロッパ諸語の意味や価値の体系は、細部にかなり相違があるとしても、全体を「西洋近代知」と言い換えてもよいと羽田はいう。これはある特定の空間(ヨーロッパ、西洋)に属すると信じる人々の世界観を背景に形成されたものであるがゆえ、一定の限界を持っている。現代の英語は、表現、語彙、思考方法などの点で、まだ西洋近代地の枠組みの中にとどまっているという。


いっぽう、日本語をはじめ非ヨーロッパ諸語の多くは、19世紀以降、ヨーロッパ諸語が生み出す近代知を理解しそれを内側に取り込んだうえで、その意味や価値の体系を構築してきた。また「非ヨーロッパ」の人々は「ヨーロッパ」の見方とは異なった角度から自分たちの社会や歴史を理解しようとする努力を地道に積み重ねてきているという。だとすれば、非ヨーロッパ諸語のほうが、ヨーロッパ諸語よりも豊かで多様な意味内容をそ寝るようになっていたといえるのではないかと羽田はいう。だからこそ、非ヨーロッパ諸語の意味や価値の体系についての具体的な情報を、できるだけ多く英語に移し替え、新しい価値や意味の体系を構築していくように努力しなければならないと説く。


そのために私たちは、日本語の意味や価値をできるだけ正確に英語に移しかえ、英語を進化させなければならないのだと羽田は主張するのである。そのためにはまず、日本語の体系とその中における術語や概念の意味と位置(日本語の構造)を全体として英語で理解できるように説明し、そのうえで個々の英単語に新たな意味を盛り込んでいくか、新たな英単語を創造す方向で工夫を重ねていくしかないのだろうという。主要な概念や術語について、それが現代英語における意味とは同じではないということを、英語を常用語としている人々に理解してもらわなければならないわけである。