朱子学・陽明学が説く儒教的な宇宙認識とは

小倉(2012)によれば、儒教の中でも朱子学は、変革と躍動と生命の思想であり、陽明学は、朱子学を継承しつつそれを批判・超克した「心の哲学」である。朱子学で最も重要な概念が「理」と「気」で、陽明学では「良知」や「万物一体の仁」に重点が移行する。ただし、小倉は、朱子学陽明学の要諦を「宇宙快楽、宇宙認識」というキーワードで理解しようとする。そもそも儒教とは、人間の、あるいは共同体の持つ道徳的なエネルギーを最高度に充溢させるときに生じる、一種異様な精神的高揚感を原点として構築された全宇宙の壮大な体系であると小倉はいうのである。君子や士大夫が天のエネルギーの活性化とシンクロできた習慣に得られる恍惚とするような宇宙的道徳性を、儒教思想家たちは、仁とか義とか、中庸とか良知など様々な概念で説明しているが、どれも道徳エネルギーの絶対的かつ動的な均衡点を指している。これが宇宙快楽であり、その基礎となるのが宇宙認識である。

 

では、儒教における宇宙認識とはどのようなものであろうか。小倉は、易の思想によって提示されているように、儒教は固定化の思想ではなく、一瞬も休みなき変化の思想であるという。社会、世界、宇宙は常に動いているが、その動きや変化には法則性がある。儒教は変化の思想であるだけではなく、もっと積極的に、その法則性を理解することで変革を実践しようとする思想だともいえる。

 

小倉はまず朱子学の宇宙認識について解説する。朱子学は人間の心の微細な動きから、宇宙の全体的な力動まですべてを説明する壮大な体系である。これを貫通するのが、理と気である。宇宙の仕組みや力動を説明するときには、理は往々にして「太極(究極的で、最も包摂的で、最も全体的で、完全に統合的な性格」として表現される。朱子学によれば、心も社会も国家も美しくなくてはならないし、本来美しいものである。朱子学でいう美とは、宇宙自然の動体的均衡の美しさで、均衡的秩序を、中庸といいう。これが美であり、この素材は「気」である。美を生きるとは、宇宙全体が躍動している秩序すなわち「理」と一体化できるよう、自分の「気」をコントロールすることである。志の力によって心が宇宙全体の動きと一体化することで動的美そのものの境地となることが、孟子のいう「不動心」である。

 

この宇宙は一瞬たりとも休みのない動的生命体である。宇宙には生命がみなぎっており、その生命の動態自体に道徳と美が宿っている。これが朱子学的世界観の基本だと小倉はいう。つまり、宇宙のすべては「気」でできている。気は世界の物質的側面であるが、理という原理的側面もある。理と気の両方があって世界が成り立つ。宇宙全体を生き生きと構成し生成しているものが気であり、別の言い方をすれば「自然」であるが、この自然には生命力という永遠不滅のエネルギーが備わっている。この根源的なエネルギーを全体として捉え、それと一体化することに邁進するのが儒教的な世界観である。

 

一方、理とは、宇宙・世界・国家・社会・家族・自己を貫通する物理的・生理的・倫理的・論理的法則だと小倉は解説する。この世のすべては素材としては気で成り立っているが、その素材の動態に自然的な秩序を与え、全体と部分に対して同時に完全な調和を与える法則が理だというのである。小倉によれば、朱子学は、絶対的な道徳性である理を信奉し、人間の善性を確信して社会を変革していくリゴリズム(厳格主義)の思想である。また、朱子学的世界観は人間中心主義だともいう。生命的なスピリチュアル・エネルギーが宿った物質である気が流行し、万物になる。その中でも人間こそ、最高のスピリチュアリティを備えて存在(霊長)だというわけである。

 

次に小倉は陽明学の宇宙認識について解説する。陽明学の核心は、心にすべてをシンクロナイズ(同期)させるエネルギーである。朱子学が均衡的動態の美にこだわるのに対し、陽明学は「ひとつになること」に徹底的にこだわる。陽明学朱子学を引き継いでいるが、朱子学が、世界を二重性の相で捉えるといったように「わけて」考える思想なのに対して、陽明学は「わけない」思想である。理と気、性と情、内と外、善と悪などを、わけない。朱子学が「根本は1つだが、結局はわかれている」と考えるのに対し、陽明学は「表面上はわかれているように見えるが、根本はひとつである」と考える。

 

小倉によれば、陽明学において、「わけない」という境地を最も直截に表しているのが「万物一体の仁」という言葉である。仁は、生き生きと、活発に、生命力あふれて、流れるように美しくはたらいていることである。すべてが共鳴し、共感し、共苦し、共振している。すべてのもの・ことの本源的な生命力は渾一的だと見るので、その本源に自我意識を合わせることができれば、万物はひとつの環流する大生命であることを体得できるというのである。

文献

小倉紀蔵 2012「入門 朱子学と陽明学」(ちくま新書)