編集委員・査読者への手紙の書き方

査読雑誌に投稿し、改訂および再投稿の判断が下されたとしよう。これは、掲載不可にならなかったということだから、首の皮一枚つながった(ゆえに脈有り)ことであり、全力を尽くして掲載決定にまで持っていきたいところである。


そこで、一所懸命に論文の改訂作業を行い、十分に改訂が終わったならば、さっさと編集委員・査読者への手紙を添えて再投稿しようと思うかもしれない。しかし、これはある意味、認識が間違っている。編集委員・査読者への手紙は、改訂原稿に「添える」といえるほど軽々しいものではない。場合によっては、改訂原稿よりも注意深く、時間を書け、じっくりと作成するべきものだからである。編集委員・査読者への手紙こそが、再投稿された論文の運命を大きく左右する可能性のある文書なのである。それは何故かを理解するには、実際の査読プロセスがどのように進むかを考えるとわかる。


査読者は、改訂原稿と手紙が送られてきたときには、まず著者から自分に宛てられた手紙を読み、前回自分の指摘したことに対し、著者はいかなるかたちで対応したのかを把握しようとするものである。そもそも、査読者が、最初の査読結果で指摘しなかったことを、2度目の査読で新たな問題として指摘することは、ある意味ルール違反であり、極めて不親切な手口となる(もちろん、改訂によって新たに生じた問題を指摘することは問題ない)。であるから、最初から論文を精読しなおすというよりは、前回指摘したポイントに焦点を絞って改訂原稿を精査する。


そのときに、自分に宛てられた手紙を読んで、自分の指摘した問題を著者が的確に理解しており、その対応が明瞭かつ簡潔に説明されており、かつその対応が適切なものだと思われるのならば、査読者はそれを批判する理由をもたないのである。査読雑誌というのは、限られたスペースにクオリティの高い論文のみを精選して掲載させることを目的としているので、編集委員や査読者は、基本的には、投稿された論文を掲載不可にするための理由を探しながら査読している。手紙に書かれている内容からは、掲載不可にするための理由が見つからないということであれば、あとは改訂原稿をしっかりと読んで、そのことを確認したうえで、肯定的な査読結果を提出する可能性が高まってくる。


しかし、査読者が著者からの手紙を読んでも、自分の言いたいことが理解されていないと感じたり、改訂の説明が支離滅裂であったり要領を得ないものであるならば、ますます論文に対する不信感を募らせることになりかねない。いくら再投稿論文がしっかりと改訂されていたとしても、そのことが査読者に伝わらないということであれば、結果は押して知るべしということであろう。しかも、査読者は通常は多忙な人たちなので、(念のために性悪説の仮定をおくならば)手紙の内容の稚拙さを多めに見て、親切に改訂原稿を何度も何度も読み返し、著者がどこをどう直したのかを一所懸命に理解しようとするほどの時間の余裕と寛容さを持たないかもしれないのである。


そこで、最低限のマナーとしては、編集員・査読者に宛てた手紙の中で、査読者からのコメントを繰り返し、その下に、それにどう対応したかを簡潔に記すことが求められる。そして、具体的にどう原稿を改訂したのかを、該当するページ番号を示しながら説明する。これが親切な書き方である。しばしば、査読者は、(忙しい日々を送っているがゆえに、かつ何本もの査読を並行して行うがゆえに)前回自分がどんなことを指摘したのかをすぐには思い出せないことがある。よって、手紙の中で自分が書いた内容が繰り返されていれば、即座に自分が指摘したことを思い出すことができる。そしてそのすぐ下に、どのように対応をしたかが書かれているので、改訂の内容を容易に把握することができるのである。これは、多忙な査読者が時間を節約することができるための「気配り」である。


編集委員に宛てた手紙についても、基本的には査読者への手紙の書き方と要領は同じである。ただし、最終意思決定をするのは査読者ではなく、編集委員なので、そのことを念頭に置いた上で注意深く、丁寧に手紙を作成しておきたいところである。差読者はあくまで当該分野の専門家の視点から論文のクオリティや掲載可能性に対して助言をする立場であり、編集委員は、その助言に基づいて意思決定をする。もちろん、編集委員が、査読者の助言が適切でないという判断をすれば、最終意思決定には編集委員自身の判断が優先される。


上記で指摘したことをふまえ、丁寧に手紙を書こうと思ったら、そう簡単に書くことができるわけではないことは理解できると思う。それゆえに、「編集委員、査読者への手紙は、場合によっては改訂原稿そのものよりも大事な文書」であるということがいえるのである。