運の正体を知って人生に生かす

運(あるいは運勢)が良い、悪いという言葉があり、実際、「運」や「運命」は人生に大きな影響を及ぼしているように思える。では、運というのは、どうしようもないものなのだろうか。ここで、運の正体をよりよく理解して、人生に生かす方法について考えてみたい。


まず、運といっても、2種類あると考えよう。1つは、偶然もしくはランダムに身に降りかかってくるものであり、これは私たちとは関係のない原因で生まれるもので、私たちの力ではどうしようもない、コントロール外の出来事である。しかしそれは全くの偶然、ランダムというわけではなく、必ず過去の出来事の制約を受けていることから、短期的には方向性を持っていると考えよう。例えば、私がなぜこの時代に日本人として生まれ育ってきたかは偶然(運)としかいいようがないが、私が生まれるという条件は、ご先祖さまの存在が全体となるから、まったくのランダムというわけではない。


もう1つのタイプの運は、過去に何らかの形で自分で種をまいたものが巡ってきた運である。当然ここにも偶然性は介在する。すなわち、自分がまいた種がすべて返ってくるとは限らないし、それが好運としてめぐってくるのか、悪運としてめぐってくるのかはわからないが。だが、この種類の運は、なんらかのかたちで自分が原因を作っている。よって、まったく自分でコントロールできない運ではない。工夫や心がけしだいでコントロールできるかもしれない運なのである。


運を上記のように2種類に分けたのはあくまで理解しやすくするために便宜的にそうしたものであって、実際の現象は、上記2種類の運が複合して絡み合っていると考えた方がよいだろう。このような理解に立ったうえで、運とうまくつきあうコツは、まったくの偶然性によって降りかかってくるがゆえに自分でコントロールできない運は、それを所与もしくは制約条件として考えるしかなく、それはわきまえたうえで、自分がコントロールできうる運をよくするために、自分がコントロールできる意思決定やアクションについて最善を尽くすということだ。トランプや麻雀を例にひくならば、自分にまわってくるカードや牌は、自分のコントロール外の偶然性で決まってくる。しかし、自分の手持ちを慎重に吟味して、どのカードや牌を切るか(すなわち人生における意思決定やアクション)については、自分でコントロールできることなのだから、ここで最善を尽くすのである。


ここをしっかりと行わないと、多くの場合において、ポジティブフィードバックが生じると思われる。これは好循環、悪循環両方である。例えば、まったく自分がコントロールできないことで悪運が生じてしまったりすると、それに落胆したり次の展開を恐れたりするあまり、自分がコントロールできる意思決定やアクションまで、悪運を助長してしまうような種をまいてしまうかもしれないということである。つまり、偶然の産物としての悪運に、あえて加担してしまうがあまり、悪運がさらに続いてしまうのである。同じような理屈で、好運がさらに好運を呼ぶということもある。しかし、好運であるがゆえに気が緩んだり油断したりして、好運を悪運に変えてしまうような種をまいてしまうことだってあるだろう。これはせっかくの好循環にブレーキをかけてしまうので、ネガティブフィードバックとして理解できる。


よって、悪運が巡ってきたときは、自分の意思決定やアクションのコントロールに最善をつくして、できるだけネガティブフィードバックを働かせて悪循環を防ぐことが大切であり、好運が巡ってきたときは、自分でコントロールできることで最善を尽くすことによって、できるだけポジティブフィードバックを働かせて好循環を維持していくことが大切だといえよう。ただし、好循環も悪循環も永遠に続くわけではないので、どこかで変化が起こる。それを見逃さないことも大切である。また、既述のとおり、運も短期的にみればある程度の方向性をもっていると考えられるため、運の流れに敏感になり、運の流れを感じ取る努力をすることも効果的であろう。