科学と技術の違いから理解する経営学

物理や化学のような自然科学とは対照的に、経営学という分野は、とりわけ世俗的に用いられる場合、曖昧もしくは多義的に用いられることが多い。とりわけ「学問としての経営学」という理解と「実践的方法としての経営学」という理解が混在している。そのため「経営学者は、会社経営を上手くできるはず(なのに実際にやらせてみると経営が下手くそである)」あるいは「経営学は、経営に役立つはず(なのに経営学はちっとも経営の役に立たない)」というような解釈がなされる。


このような「経営学」に対する誤解もしくは多義性を解く上で参考になるのが「科学」と「技術」の違いである。経営学者は、学問としての経営学に取り組んでいる。この場合、経営学を社会科学の1分野だと考えれば、「科学」に近い立場をとる。一方、一般市民や実務家の人の中で「経営を成功させるための実践的方法」が経営学であると理解している人は、「技術」として経営学を捉えている。


朝永(1979)によれば、科学は「世界を奥の奥で統べているものは何かと問い、その秘密を知りたい、という人間の持って生まれた知的欲求の表れ」である。一方、技術は「人間存在に好都合であるように自然の事物を改変しようとするもの」である。であるから、科学と技術は根本的に違ったねらいと方法論を持っているのだという。ただし、この2つはお互いにからみあう性質をもっているとも朝永は述べる。


経営学者は、科学の実践者であるため、その営み自体が、科学の特徴どおり「知的好奇心」に大きく動機付けられている。物理学の守備範囲と似たような表現を用いれば「経営にまつわる現象について観察事実に拠りどころを求めつつ法則を追求する」のが経営学者がとりくむ経営学である。今まで知られていなかった新しい法則を見つけ出したり、新たな発見を行うのが、経営学者の重要な仕事である。


それに対し、経営者や経営コンサルタントのような職業の場合、技術として経営学を捉えることが多いであろう。実務家の場合、経営を成功させることが最重要課題になりうる。したがって、経営者や経営コンサルタントは、「経営を成功させるためのツールや手法の開発」を行うことが仕事の1つとなる。これを「経営学」というかどうかは意見が分かれるかもしれないが、世俗的に用いられる「経営学」では、これらの営みも含まれるであろう。


では、この2つの意味での経営学がまったく異なるかと言えばそうではなく、相互に関連している。仮に、これら2つを、「経営学者によって研究される経営学」と、「経営コンサルタントによって作られる経営学」とするならば、前者は「役に立つ(=経営を成功させる)」ことを必ずしも主眼としていないし、後者は「法則や発見が正しいかどうか」よりも「それが経営を成功させるか」に関心がある。したがって、後者が、前者から生み出された知見を利用して、経営に役立つように加工するというのが、両者の間で考えられる役割分担の1つであろう。あるいは先に新しい経営ツールが開発され用いられることによって新たな観察データが生じ、その観察データから新しいテーマの設定や新たな法則の追求が始まるということもあるだろう。