「直感」「読み」「大局観」を言葉で説明する

羽生(2010)は、一手一手が決断の連続でもある将棋の対局のなかでどのように考え、どのように物事をとらえているか、そして次の一手をいかに決断しているかについて、「直感」「読み」「大局観」の3つを駆使し、これらを組み合わせながら次の手を考えているという。別の言い方をすれば、俯瞰性と詳細な検討の両方を駆使するということでもある。そしてこれらを言葉として伝えにくいとしながらも、その感覚と言葉が近づくように記述している。


「直感」は、1つの局面で指せる80手くらいの中から、カメラのピントを合わせるように、瞬時に2〜3の可能性に絞り込むプロセスだという。つまり「ここが中心ではないか」「これがポイントではないか」「重要なところではないか」を瞬間的に峻別・選別して考えているのだとう。「カメラがピントを合わせる」ようなプロセスは、1)大雑把に、概要として全体図を把握する、2)明らかにマイナスにしかならない手を瞬間的に捨て去る、3)幾何学的に、その局面を「形としてどうか」という目で見る、4)ピントを合わせるようにどこが一番のポイント、急所なのかを、瞬間的に選択する、となる。


「読み」とはシミュレーションすることだという。具体的な手順を読む、先を読む作業である。「読み」では、1)その手が良いか悪いか、2)どこで読みを打ち切るか、の2つの判断が非常に重要だという。「読み」の力をつけるには、自分で考える経験を積むことと同時に、自分が選ばなかった選択肢を、可能な限り検証することだという。


「大局観」は、全体的な方向性や方針をつかむものであるという。全体を見渡す、上空から眺めて全体像がどうなっているかを把握するようなイメージである。大局観の特徴は、1)直感と同じく、ロジカルな積み重ねの中から育ってくる、わかってくる、ただしその因果関係は証明しずらい、2)たくさんのケースに出会い、多くの状況を経験していくなかで、だんだん培われてくる、3)自分がやっていなくても、他の人が過去にやったケースをたくさん見ていくことでも磨かれてくる、4)その人の本質的な性格、考え方が非常によく反映される、ものだという。


そして羽生は、直感と大局観の類似点として、1)ある程度、数をこなすこと、経験することが、直感や対局観を磨く上で重要である、2)感覚的なものであり、なかなか具体的な表現が難しい、3)微妙なバランス、さじ加減が求められる、ということを挙げている。また、「終わりの局面がこうなってくれたらいいな」「こうなるのではないか」という仮定をつくって、そこにつじつまを合わせていくようなかたちで大局観を用いるとも述べている。さらに、論理的なところでは識別がつかない、最後の分からない部分、何が正しいのか論理的には分からない部分については、好き嫌い、自分のスタイルや棋風に合っているかといった主観で判断するのだという。