エージェントベースモデルで学ぶ「組織のゴミ箱モデル」

経営学や組織論を勉強したことがあれば、組織における意思決定の「ゴミ箱モデル」というものに遭遇したことが何度かあるだろう。オリジナルなゴミ箱モデルは、1972年というかなり昔にコーエンらによって提唱されたものである。経営学や組織論においてこのモデルがよく知られている理由の1つは、ネーミングにインパクトがあることだろう。組織を「ゴミ箱」のメタファーで表現することで、伝統的な合理性を前提とした組織論や規範的な意思決定の研究に対するアンチテーゼを直感的にわかりやすい形で表明している。また、このモデルは、現実の組織を対象としたフィールド調査ではなくコンピュータ・シミュレーションを用いた研究が経営学や組織論で必ずといって良いほど登場する代表的なモデルの1つになったという点が特徴的である。

 

ゴミ箱モデルについてはネットで検索すれば山ほど説明が出てくるのでその詳細をここでは説明しないが、今回紹介するのは、このゴミ箱モデルを「エージェントベースモデル」を用いたコンピュータ・シミュレーション再現し、かつ改良を加えたというFioretti & Lomi (2010)の研究である。ゴミ箱モデルが提唱された1972年と比べれば、コンピュータの性能には天と地ほどの差があり、エージェントベースモデルをコンピュータを用いて使えば、個々のエージェントの振る舞いが全体としてどのような現象を創発させるのかをビジュアルに確認することが可能である。実際、Fioretti & Lomiは、NetLogoを用いてゴミ箱モデルを再現しており、そのプログラムコードは公開されている。以下のNetLogo Webを使用すれば、ソフトウェアをPCにインストールすることなく、ウェブベースでゴミ箱モデルを実際に体験できる。

 

Fioretti & Lomi によるNetLogoのコードは以下からダウンロード可能である。

NetLogo Webは以下のサイトで動かすことができる。こちらのサイトでFioretti & Lomi が作成したコードを読み込んで実行すればよい。

ゴミ箱モデルそのものの詳細な説明は割愛しつつ、このモデルがどのように「エージェントベースモデル」に「翻訳」されたのかを説明しよう。エージェントベースモデルでは、個々のエージェントの相互作用が全体現象の創発につながるという前提を置くが、ゴミ箱モデルに照らし合わせると、組織の中における「参加者(メンバー)」「選択の機会」「解」「問題」をエージェントとして、これらのエージェントが自律的に組織内を動き回るというようにモデル化する。そして、これらが組織スペース上のある位置で出会った際のパターンによって、組織で起こる意思決定(問題解決、形式的決定・見逃し)や非意思決定(やり過ごし、先送り、他者への押し付け)が起こるというプロセスをルール化する。さらに、組織における階層性を表現するために、参加者(メンバー)の地位の高低を設定し、その他、参加者の能力、問題の難しさ、選択機会の重要度などを設定する。

 

さまざまな条件のもとでシミュレーションを走らせるわけだが、適切な形で「参加者(メンバー)」「選択の機会」「解」「問題」の全部が揃えば、適切な問題解決が意思決定としてなされたと判断し、参加者以外を組織から消す。適切な形というのは、階層の上位にいるメンバーが重要度の高い選択機会と出会うというような具合に定義する。しかし、適切な形で「参加者(メンバー)」「選択の機会」「解」のみが揃えば、問題が認識されることなく「形式的に」何かが決定されると判断し、参加者以外を消す。これは例えば、会議で形式的、ルーティン的、あるいは惰性的に何かが決定されて前に進むようなものである。しかるべき会議で特定のプロジェクトの進捗が報告され、そのまま前に進めるような決定がなされるようなものである。そこでは問題が俎上に上がることなく、審議事項が議題に上がってなんらかの形で意思決定がなされるだけであるが、そのような形式的な意思決定も組織では日常的に行われているし、組織運営にとって必要だという解釈となる。

 

また、問題と参加者が出会ったときに、問題の難度が参加者の能力を超えているような場合には、問題のやり過ごし(先送り)や他者への押し付けが行われる。この場合、問題は、適切な形で「参加者(メンバー)」「選択の機会」「解」と出会うまで、ぐるぐると組織内を巡り続ける。そのため、組織のメンバーから見ると、あの問題は過去にやり過ごしたはずだが、また俎上に上がってきた、私には荷が重いので今回もやり過ごそう、誰かに押し付けよう、みたいな経験が多く発生する。しかし、それは根本的な問題解決がなされないまま組織運営が継続することを意味するので、その問題は解決されずに組織内に残ってしまい、またどこかで頭を出してくることは直感的にも理解可能である。

 

エージェントベースモデルの利点の1つは、一見すると「変な」あるいは「不思議な」結果を生み出したりするのであるが、よく考えると、そのような現象は、組織の現実の一面を映し出しているように思えるところである。つまり、組織マネジメントに関して、何かハッとさせられる、大事なことを思い出させてくれる、考えさせられるような機会を提供するのである。Fioretti & LomiによるNetLogoを用いたゴミ箱モデルのシミュレーションには、数多くのパラメータ設定が可能となっており、それらを操作しながら結果を見るという実験が可能である。Fioretti & Lomiによる再現は、コーエンらのオリジナルなモデルの結果の確認に加え、モデルの追加的な解釈も行っている。以下のような結果とその解釈が興味深いと言えよう。

 

まず、どのような条件下においても、組織における問題の解決とは関係のない、形式的な決定や、問題を見逃した形での意思決定が非常に頻繁に起こるということで、それに比して、実質的な問題を解決するような意思決定はとても少ないということである。これはそもそもモデルの構造を理解すればある意味当たり前のことだと言えるのだが、現実の組織に照らし合わせて考えても、組織の運営において形式的に何かを決めることが日常で頻繁に行われていることと対応していることがわかる。これは、組織というものを維持することにおいて、そのような形式的決定が必要不可欠であるということも示唆している。例えば、組織の本質はルーチン(繰り返し)にあるとも言えるので、ルーチン的な決定を繰り返すこと自体が、組織という実体の維持を意味しているといえる。

 

次に、かなり「変な」結果に見えるのが、組織の階層を考えた場合に、上位の階層に行くほど、形式的な意思決定の相対的な度合いが多く、下位の階層において、実質的な問題解決を導く意思決定が相対的に多いことがわかったということである。これは、現実の組織においても、上位の階層のメンバーほど、形式的な場に出て形式的な決定に参加することが多いことを映していると解釈可能である。例えば、会議に出てメインの役割は挨拶だけであとは頷いているだけとか、そもそも儀式やセレモニー的な行事に顔を出さねばならないこと多いとか、上位階層の人々ほど、実質的な問題解決のために使うべき時間が少なくなりがちであることも映し出しているように思える。

 

さらに変に思える結果として、上位ほど優秀なメンバーたちからなっている「まっとうな組織」よりも、上位よりも下位に優秀なメンバーが多いといった組織の原理と逆行している「ダメな組織」の方が、問題解決を効果的に行うことができそうだという結果である。これは上記の結果とも関連しており、組織の下の階層ほど、実質的な問題と遭遇し、それを解決する機会が相対的に多いのだから、そこに優秀なメンバーが集まっている組織の方が、実質的な問題解決を効果的に行える可能性が高いことを示している。

 

ただし注意すべきなのは、だからといって組織の上位にダメな人間ばかりいても良いということではないだろうということである。問題解決とは関係のない形式的なイベントへの参加やそこでの形式的な意思決定も、組織を維持することにとって重要なのだから、そのような行為を正当化できるようなメンバーが上位に来るべきだということも言えるのである。別の意味での「優秀さ」を考慮すべきだという言い方もできよう。また、皮肉も含めていうならば、日本的な「みこし経営」が効果的であった理由がコンピュータシミュレーションで明らかになってしまったとも言えるかもしれない。つまり、現場には優秀な人材が集まっており、組織の上位階層では「お飾り」としてのトップ層がみこしに担がれているような組織形態は、意外にも理にかなっていたと言えるかもしれないのである。

 

そのほか、オリジナルなゴミ箱モデルでも指摘されていたとおり、組織内において、問題をやり過ごしたり先送りしたりする行為、そしてFioretti & Lomiのモデルで追加された、問題を他者に押し付けるような行為は、それ自体が自己中心的で組織に忠実でなく非真面目な行為と言えるのだが、そういった各メンバーの自己中心的な行為が、集合された組織全体で見るならば、組織が問題を適切に対処して解決を図るためのリソースの蓄積や利用に役立っているという解釈である。エージェントベースモデル上では、やり過ごし、先送り、押しつけが起こるからこそ、解決されない問題が組織内をグルグルと駆け回り、その結果、適切に解決されるようなメンバー、選択機会、解と巡り合うことが可能になっていると解釈できる。

 

もし、これに反して、組織内のみんなが目先の問題に、それがたとえ難しいものであろうと取り組んでしまうのであれば、つまり、やり過ごし、先送り、押しつけといった非真面目な行為が起こらないような状況では、解けない難度の問題を能力のないメンバーが無闇に時間を浪費して取り組んでしまうことで問題が適切な場所に辿り着く時間を伸ばしてしまい、組織全体としての問題解決の効果性を低めてしまう。つまり、そのような「真面目すぎる組織」は、組織として本当に大事な問題に取り組む時間やリソースを減少させてしまい、かえって組織の効果性を弱めることになりかねないことを示唆しているのである。

 

つまり、ゴミ箱モデルのシミュレーション結果から導き出される結論の1つが、組織のメンバーがある程度自己中心的であることは必ずしも悪いことではなく、市場が参加者の自己利益を最大化することに注力することが市場全体として効果的に機能することと類似する特徴が組織にも存在しているということである。市場原理も、ゴミ箱モデルが想定する組織も、個々のアクター、エージェントの活動の特徴の総和がそのまま市場や組織の特徴に反映されるのではなく、エージェントの相互作用から、市場や組織が全体として固有の特徴を発現させることが分かる。組織に関していうならば、参加メンバーの自己中心的な動きが一見すると組織の利益に反する行動に見えても、集合的に眺めれば、組織のパフォーマンスにある程度貢献するような形となっており、逆に、参加メンバーが常に組織に対して献身的に振る舞うという一見望ましい行為は、集合的に眺めると必ずしも組織パフォーマンスを最大化させるわけではないということが言えるのである。

 

そもそもエージェントベースモデルやそれを用いたコンピュータ・シミュレーションは、限られた種類のエージェントと単純化されたルールに基づいて動かしているに過ぎないのだから、それが現実の組織の特徴を余すことなく示していると考えるのは間違っている。しかし、限られた条件でのみ動くようなモデルであっても、そこから得られる、しばしば「意外な」「予想外の」結果が、組織が有している本質的な側面のどこかを鋭く切り取って私たちに示してくれている可能性が高いと考えられるのである。だからこそ、コンピュータ・シミュレーションから生まれた「ゴミ箱」モデルがこれほどまでに知名度が高いのだと言えるのだろう。

文献

Fioretti, G., & Lomi, A. (2010). Passing the buck in the garbage can model of organizational choice. Computational and Mathematical Organization Theory, 16(2), 113-143.