論文の書き方で研究成果の価値が変わる

研究成果は、それ自体が、絶対的な価値を持つものではない。価値は常に相対的である。そして、多くの場合、それは論文の書き方に左右される。


例えば、一見すると取り立てて興味深いわけではないような内容の研究成果であっても、書き方によっては、非常に興味深く、価値のある論文に仕上げることができる。逆に、研究成果そのものは、興味深い発見などを含んでいるにもかかわらず、書き方によっては、人々の興味をひかない論文になってしまうこともある。


この違いは「論文を書く技術」である。どのような研究成果も、それが持つ学術的貢献や価値は相対的なものである。だから、一見つまらなさそうな内容でも、違う視点から見てみるととても面白いということがいえるのである。よって、論文を書く場合、その視点を見出せるか、そしてそれをあますことなく読者にアピールできるか、ということである。研究成果をいろんな方向から眺めてみて、それがもっとも光り輝くアングルを見つけ出し、それを正確に写し出すわけである。


逆に言えば、論文を書く技術が足りない場合、研究成果をもっとも輝かせるアングルを見つけられない、見つけてもそれをうまく写し出せないがために、感動を呼ばない、平凡な文章で終わってしまう。


写真にたとえるならば、被写体は同じでも、プロが撮ればすばらしい写真に仕上がるが、素人が撮れば平凡な写真で終わってしまうというわけである。


論文を書くときに具体的に気をつけることは、「So What?:だから何?」を自問することである。とりわけ、論文の最初の方を読んでみて、「だから何?」と思われるようでは、その先を読んでもらえないと考えてもよいだろう。暇のある人だけ、最後まで読んで、あらためて「だから何なのさ」と聞くであろう。


もう一度写真のたとえを持ち出すならば、あなたが、すばらしく感動的な写真を見せられたとしよう。一瞬にして目を奪われるような写真を前にして「だから何?」とは言わないはずである。しかし、あなたが、何の変哲もない、素人が撮ったような写真を見せられたとしよう。あなたは一瞬無言になり、そして「だから何?」と聞くであろう。