言語論的転回

石原(2008)は、赤瀬川源平という人の<あるものをゴミと見るのは人間だけなので、人間が地球上から消えれば、ゴミは消える>という、そう言われればたしかにそうだが、ちょっと恐ろしい考え方を例にひいて、以下のように言語的転回を説明している。


言語論的転回を一言でいえば、「世界は言語である」ということである。私たちは、言葉を通してしか、世界を理解することができない。いや、もっと厳密に言えば、言語的転回では、言葉の先にモノとしての世界が想定されておらず、妙な言い方をすれば、私たちが生きている世界はすべて言葉で「汚染」されているのである。その言葉の外には世界はなく、私たちが触れることができるのは、モノではなく言葉である。私たちはまるで言葉の世界に閉じこめられているようなものなのである。


石原(2008)で取り上げられている池田清彦氏の文章では、「世界は連続的に変化するものであり、私たちはそれを適当に切り取って、コトバで言い当てようとする」と説明している。しかも「コトバによる世界の切り取り方には根拠がない」とも言う。