ソシュール言語学と記号論

竹田(1992)は、現代思想の展開にとって最も重要な意味を持つ思想家の1人にソシュールを挙げている。ソシュール言語学の中核的なコンセプトは「言語の恣意性」である。これは、言葉というものは、すでに客観的に存在する事物の秩序に、わたしたちが記号によって名前をつけていったもの(実在論、言語名称観)ではなく、むしろ、「事物の秩序とは、人間が言語によって編み上げたものにほかならない」という見方である(p42)。


われわれは、言葉というものを、事物の客観的な秩序を正しく写すための道具だと思いがちだが、実はもっと謎めいている。明らかになったのは、まず客観的な事物の秩序(実在の秩序)があり、それを言葉が呼び当てるのではなく、むしろ「人間の言語行為が、いわば網の目のように絶えずこの秩序を作り上げており、しかもまた絶えずそれを編み変えていく」のだということである。人間は事物の「実在」に対して言葉を介して向かいあっているのではなく、むしろ言葉は、人間が事物に対して取っている実践的な「関係」を表現している(p45)。


ソシュール言語学を受けて発展した記号論は、言語とは単に伝達のための道具ではなく、およそ社会のうちの一切の意味作用を担うと考える。社会がもっているさまざまな文化的関係そのものを「意味作用の体系」として捉えることができると考える。


人間は、世界(実在)を言葉で表現しているのではなく、言葉によって世界(実在)を作り上げていると言えよう。私たちにとって世界は、いくらそれを言葉で限定しようとも、決して捉えつくせず、常に予断を許さない新しい相を持って現われてくる。言葉の本質は「世界を写し取る」機能にあるのではなく「言葉の世界を編む」ことによって現実を作り上げる機能にある。