本編では、AMJに掲載された質的研究論文であるKim et al. (2019)を教材として、質的研究をトップジャーナルに載せるための研究方法や論文執筆方法について解説している。今回は、質的調査部分の分析方法を記述しているパートについて解説する。
質的データの分析方法
今回のエスノグラフィーのような質的調査の分析を実際に行う際に注意すべき点は、まず、調査で収集して保管、整理しているデータの量や複雑性に圧倒されつつも、何かにインスピレーションが沸くまで辛抱強くデータと向き合う点、そして、インスピレーションから発見の整理、理論やモデルのアイデアの導出と、ふたたびデータに戻ってデータを見返したり整理しなおしたりすると言ったように、データと思考・分析の間を行ったり来たりする点、そして、その間にもおぼろげながらに浮かんできた発見や理論に駆動されながらデータ収集を続けるという点である。
この分析プロセスは、あえて別のものに例えるならば、刑事や探偵による事件捜査と、法廷裁判で的確に犯人および事実を特定する説明の準備になぞらえることができる。いかに複雑怪奇で犯人が誰かもどんな形で犯罪が行われたのかもわからないような事件であっても、丹念に証拠を集め、緻密な推理を行うことによってその全貌が徐々に解明され、それが確信に変わっていく。そして裁判で犯人を裁くためには、決して冤罪を犯してはならないから、説明する犯罪手口や犯人の特定はすべて証拠という事実に基づかねばならない。であるから、大量の証拠を準備して、「トライアンギュレーション」で事実を明らかにする必要がある。このような証拠と推理のプロセスと関係性は、質的調査におけるデータ収集と分析のプロセスと関係性に類似しているわけである。
そして、分析部分を論文で説明する際に重要なのが、調査プロセスの透明性である。なぜ、今回発表するような発見や理論が導かれたのかを、できるだけ包み隠すことなく論文で報告する。ここで、数量的研究との大きな違いが出てくる。数量的研究における方法論の記述の適切性は、それが再現性を検証できるのに十分であるかという点にある。数量的調査の多くが仮説検証型なので、調査デザインの段階で検証する仮説が明らかになっている。生み出された仮説を検証するプロセスは、研究方法論が適切であれば、基本的に何度同じことをやっても同じ結果が出ることが想定される。そこでサンプルを変えてみたり変数を少し入れ替えたりして、検証された仮説や理論の頑強性を高めていくというのが科学的なプロセスである。
一方、新たな発見や洞察が調査データに基づいて帰納的もしくはアブダクティブに生み出されるというのが多くの質的調査の醍醐味であって、それは再現可能でない。繰り返すが、質的調査は調査主体の主観的なプロセスが混在しているのと、調査対象がその時の時間や状況、文脈に埋め込まれた一度きりの出来事などであるので、何度やっても同じ結果が出るという前提が間違っている。であるから、質的調査の方法の記述で大切なのは、発見や理論の「信憑性」である。実際にどのようなプロセスでそのような発見や理論が生まれたのかを読者が追体験できれば、その発見や理論の信憑性を判断できる。例えば、そんな少ないインタビューの数でこのような理論が導き出されるのか信用できないとか、逆に、これだけ大量の証拠を集めてこのように分析がなされているから、出てきた結果を信用できる、というように、分析方法の透明性が確保されていて初めて信憑性が判断できるわけである。
Kim et al. (2019)の分析の記述においては、まず、エスノグラフィーの過程で、時間概念に気づき、こちらに焦点を当てるように調査自体を軌道修正して行ったことや、後でさ読者から指摘されて追加の分析を行ったことまで、何をどうやったのかをある意味正直に説明しているので信用できるということになる。この分析の記述のパートで、分析しているうちに東アフリカの紅茶生産業者とフェアトレード側とで時間の感覚が違うことがクリアになり、そこから本研究のハイライトである「長~い現在」といった考え方が導き出されたことを記載している。エスノグラフィーによるデータ収集と、データを分析するプロセスは線形ではなく行ったり来たりの繰り返しプロセスであることに言及した上で、それでも大きく分けると分析は5つほどのステージから成り立っていると報告している。
最初のステージでは、インタビューデータやフィールドノートを調査者と他の共著者とでコーディングし、紅茶生産に関するリズムや季節性の重要性に気づくようになり、かつ理論に思いを馳せたり文献を調べたりという繰り返しプロセスの中で、現在という時間の重要性に行き着いたとしている。第2ステージでは、リソースの流れをめぐって紅茶生産業者とフェアトレードとの相互作用に焦点を当てて分析を進めた。その中で、改めて紅茶生産業者の活動が、社会的あるいは生物物質的なリズムに埋め込まれていること、そしてフェアトレードからの介入が状況を悪化させていることに気づくようになったという。
第3ステージでは、インタビューデータやフィールドノート、描画などを再分析し、紅茶生産業者とフェアトレードの相互作用における時間概念の役割により焦点を当てるようになったという。第4、5ステージにおいて、査読者からの助言を参考にしながら、紅茶生産業者とフェアトレードの相互作用による焦点を当てて分析したとしている。これらの分析を通して、フェアトレードが紅茶生産業者に行った介入は功を奏したと言えるが、ただ、フェアトレードが当初想定していた形ではない、別の形で効果が挙げたこと、そしてそれが本研究のハイライトとなる発見に関連していることを述べている。
優れた質的調査のポイント
話のついでに、これまで説明した内容と被るところもあるが、優れた質的調査のポイントについても少し触れておこう。とりわけAMJのような経営学のトップジャーナルの傾向をみていると、その1つの条件として、圧倒的なデータ量というものがある。Kim et al. (2019)では、すでに説明した通り、「幅を持った長い現在というものがある」というたった一言に集約されるような発見を得るために、長期間にわたって膨大な量のデータを収集していることは論文を見れば一目瞭然である。圧倒的なデータ量と言っても、その目的は研究結果の信憑性を増すことなので、数量的な基準があるわけではない。多くの読者が論文を読んで、どれだけ説得力があるかどうか、収集されたデータや資料が新たに構築された理論や命題の根拠となっていることを信じられるかどうかである。
ただし、必ずしも圧倒的なデータ量が優れた研究の必要条件と言っているわけではない。再び裁判を例に引けば、判決を導くために必要な証拠の量に基準はなく、少ない証拠でも決定的な場合もあれば、数多く集めることで判決の正当性を高める場合もある。質的研究で生じる大きな問題の1つは、構築した理論や発見した内容が、本当に調査から導き出されたものなのか。そこには憶測や思い込みといったものが混在していないのか、というものである。結論に至る証拠を集めて示すプロセスで少しでもそのような隙があるのであれば、罪を裁く裁判では冤罪の可能性があることになってしまう。であるから、通常は、結論の信憑性を高めるために畳みかけるように多くの証拠を提示し続けるわけである。圧倒的なデータ量で持って、冤罪(間違った結論)を導いている可能性を最小限に抑えているという解釈にある。
質的調査の初心者が発する質問に、「インタビュー調査をしたいが、インタビューは何人するのが適切か」といった問いがある。これは前もって決めることはできない。強いていえば、読者がその発見やストーリーを信用できるだけの人数ということになる。例えば、インタビュー調査を20人に対して行い、ある結論を導いたとして、その結論に何らかの一般化可能性が前提となっているときに、それがその対象者以外の範囲にある程度一般化可能であるということを確信できるかどうかである。
また、圧倒的なデータ量のみならず、トライアンギュレーションを用いることで発見や結論の妥当性を高める点も優れた質的研究の条件である。数量的研究では、異なる調査手法を組み合わせることで、検証の外部妥当性・内部妥当性を高めることが重要であることを学んだ。類似する論理は、質的研究にも当てはまる。質的研究では、複数の調査手法を組み合わせる、あるいは複数の視点を組み合わせることを、トライアンギュレーション(三角測量)と呼ぶ。トライアンギュレーションも、説得力、信憑性を高めるために重要。裁判で冤罪を起こさないための努力。
そして、それだけの丹念な調査から得られた一言でいえるような発見が、その研究テーマに対する人々の見方を大きく変えてしまうようなものであるということである。これは数量的研究でも繰り返し強調しているポイントなのですでに染み付いていると思う。Kim et al. (2019)では、「幅を持った長い現在というものがある」という発見が、サステナビリティに関する考え方を時間という視点を通して根底から揺さぶるくらいのインパクトや破壊力を有している。
その他の優れた質的調査の条件は、次回以降も折に触れて説明していきたい。
文献(教材)
Kim, A., Bansal, P., & Haugh, H. (2019). No time like the present: How a present time perspective can foster sustainable development. Academy of Management Journal, 62(2), 607-634.