デカルト=ニュートン主義の終焉1「色や温度は実在しない」

現代科学の発展によって、20世紀初めにはデカルトニュートン的な世界観は否定されてしまった。デカルトニュートン路線とは、デカルトがいうように、物質世界と精神世界は独立しており、物質世界においては、私たちの存在とは完全に独立した、絶対的な空間と時間があるという説である。だから、この世の中には空間と時間が存在し、それは絶対的なものであるという理解である。以下において、橋元(2006)による明快な説明を紹介しよう。


例えば、原子といったミクロな世界を研究すると、私たちが、当たり前に存在すると思っている「色」とか「温度」とかは実在しないということが明らかになる。私たちは、例えば目の前にある物体には色がついていて、それは私がいようがいなかろうが客観的な事実だと思い込んでいる。同様に、地球温暖化の議論のように、世の中には温度が存在すると思い込んでいる。しかし、色も温度も、身体が外的な環境と相互作用することによって生じる「生物学的感覚」なのである。つまり、色とか温度は物理学ではなくて心理学の世界である。ただ、物理学はそれを忠実に反映する定義をもうけて測定可能にすることによって物理量として扱っている。色は実在せず、実在するのはさまざまな波長の電磁波である。人間は、特定の範囲の電磁波しか知覚できず、その電磁波を知覚した結果、頭の中で「色をつくりあげている」。つまり「色は物体の属性ではなく、人間の頭が作り出す心理現象である」。温度も実在せず、実在するのは原子の動きで、乱雑な運動が激しいかそうでないかの違いである。これを、人間の皮膚などが感じ取ると「熱い、冷たい」という温度として知覚されるのである。「温度は空気や物体がもつ状態ではなく、人間が作り出す心理現象である」。だから「原子そのものには色も温度もない」。「石ころには色がついており温度もある」という日常の常識とは大違いなわけである。


色や温度はわたしたちが直接感じることができるきわめて明快な概念であるにもかかわらず、ミクロの世界では色や温度は存在しない。量子力学では、位置や速度やエネルギーといった概念でさえ、実在からほど遠くなる。さらに、ミクロな世界では、われわれが感じているような時間の向きや流れが存在する根拠は何もないのである。