即興ドラマの原理2

場所は人間が行動するところ、生きているところであり、その場所を「見る」ということは、場所との関わり合う自分の身体を通じて「内側から見る」ということである。自己の身体的情報が場に意味をつける。例えば広大な土地とか悠久とした時を流れる大河のように、内観的な身体性(内観的な身体の空間性や時間性)が場の情報に反映している。場所のありようを認識していくこととは、自己が外に見ているものと、その身体性を通じて超越的に見ている場所の状態とが整合してくることを意味する。


主語的(個物的)および述語的(場所的)情報が、自己中心的自己と場所中心的自己の無限定な状態から出発し、一方では両者が相互に誘導しあい協調することによって、他方ではそれぞれが自律的に働くことによって、それぞれ整合的な個物として普遍として創出されてくる。自己中心的自己は場所がつくりだす場に引かれながら、整合的にふるまおうとし、場所中心的自己は自己の行為を包摂しようとする。


各役者の内で起きるドラマの筋の流れ(ストーリー)は、相互誘導の状態にある2つの自己の働きを包摂するようにつくりだしていく境界に相当する。


仮に世界=物語(ドラマ)として捉えてみると、即興劇(ドラマ)というのは、役者や観客が共同で世界を作り出していくプロセスであると解釈できよう。語られることによってのみ存在する世界=場所全体のストーリー(流れ)を生成させていくというわけである。