清水(1996)は、リアルタイムの創出知というアイデアにおいて、以下のように生命と時間について考察している。
「自分たち自身でコヒーレントな関係をつくり(自己組織し)ながら、その関係にしたがって自律的に自己を決める」ということから、私は生命的要素のことを「関係子」と呼んでいます。この自己表現性をもつためには、関係子に「超越的な立場から各自の拘束条件を決定していく働き」がなければなりません。
自己表現から見ると、現在(表現すること)は過去(表現したこと)から切り離せない存在です。また同様にその現在が未来に影響を与えます。・・・現在は、過去に経験した表現と、この目的あるいは作業仮説としての未来の表現を連続的なものとしてつなぐという意義をもっています。つまり関係子は、歴史的な時間の流れの中で自己表現するのです。
現在の自己の行為(自己表現)は、その行為の直前の状態によって決まったルールにしたがっておこなわれます。一口に言えば、これは自己の過去の状態が現在の状態を縛っていることを意味しています。その意味から、現在は過去とつながっています。・・・未来の状態として設定された作業仮説に基づいて現在の行為が決定されるのであり、この意味から現在は未来ともつながっています。
関係子の自己表現にとって、「現在」は、その「過去」とも「未来」とも行為的な意味でつながっています。それは過去−現在−未来という連続した時間の流れの中にある現在であり、言い換えれば歴史的な時間の流れの中における現在です。・・・歴史的な時間の流れの中にいるということは、過去の出来事を経験した順に正確に記憶しているといこととはまったく異なることです。出来事をこのように(互いに独立した切れ切れの出来事として)時間の順に記憶しているということと、歴史的な時間のつながった流れを自己の内部に持っていることとは違う現象です。
関係子が歴史的な時間の流れの中で自己表現をしているということは、関係子の自己表現が本質的にドラマ的であるということを意味しています。自己同一性ということは、このドラマの筋に一貫性があるということなのです。