場の空気を読む

ウィキペディアより

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B4%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%B0%97

書籍としての初出は山本七平の著『「空気」の研究』(1977年)である。


・・・内藤誼人は自著『「場の空気」を読む技術』において、顔の表情を読むこと、なかでも相手の眼を見ることの重要性を強調している。相手の言っていることと相手の表情とが一致しなかったら、表情のほうが相手の真情なのだと気づくことが大切である。例えば相手が「怒っていないよ」と言っている時に怒っている表情をしていたら、相手は怒っていると気づくことが必要なのである。


・・・一般論として述べるならば、よほど切迫した事情が無い限り、好ましいと感じている反応が相手の表情に出たら行動を積極的に行い、否定的な反応が出た場合は、自分が直前に取ったような行動は抑制するというのが、おおむね賢い方法であることは多い。つまり「場の空気」を読んで発言や行動を控える、「場の空気」を読んで場に相応しい発言をする、といった振る舞いなどである。
だがそのような振る舞いだけでなく、もっと主体的な振る舞いも存在する。例えば、「場の空気」が"陰鬱"と読んで自ら「場の空気」の主導権を握り明るいものにする、「場の空気」が"いじめ"あるいは"犯罪的"と読んで適切・適法な行動を取る、あるいは「場の空気」が"自分の身に危険"と読んで早めにその「場」そのものから離れる、等々等々の選択肢も存在している。

日本では、物事の判断が場の空気に支配される事象がしばしば見られる。 山本七平は、空気支配の例として戦艦大和の沖縄出撃を挙げ、出撃は無謀であると判断するに至る細かいデータおよび明確な根拠があるにもかかわらず、明確な根拠の全くない出撃が「空気」によって最終的に決定されたと指摘している。この事象をもって、山本は「それ(空気)は非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力をもつ超能力である」と批評した[9]。 また、2005年の衆議院議員総選挙自民党が大勝した原因の一つとして、小泉純一郎首相(当時)が作り出した空気の支配を挙げる者もいる。


日本における空気支配は日本文化の集団主義志向によるものとも考えられる。個人主義志向の強い欧米では場の空気を読むことはそれほど重視されていない。欧米の学校において生徒の発言しだいで授業の成り行きが変わることにもあまり抵抗が感じられない。