偶然性のマネジメント

伊丹(2003)によれば、技術とは、事前には不可知(不確実)であるという本質と、事後には論理的であるという本質をあわせもっている。自然や社会の中には「機能する論理」は数多く存在しているのだが、小さな存在としての人間は、それを1つひとつ発見していくほかはない。その発見には不確実性が付き物でありリスクが大きい。例えば、田中耕一氏の開発プロセスでは、論理的に必然のプロセスが偶然の出来事の後に起きていた。偶然を必然が捕まえるといってもよい。パスツールの言葉を借りれば「偶然は準備のある心の持ち主に微笑む」となろう(伊丹 2003)。自然が提供する現象があまりにも豊かであるために、その現象にぶち当たった本人からすれば、意外としかいいようがない思いに駆られる。自然から見れば偶然でもなんでもないこと(例えば第3者がある現象を眺めている、あるいは事後的に解釈する場合もあてはまろう)であっても、きわめて限られた認識能力しかない人間には偶然に見えるのである。
これは偶然と必然のパラドクスといえるかもしれない。偶然が重なっていると当事者は思っているかもしれないが、それを客観的にもしくは事後的に見た場合には、すべてが因果関係でつながっているはずなので論理的だし必然の結果といえるのだろう。

参考文献

伊丹敬之「経営戦略の論理」