気配を読む技術

井村(1988)は、「気」や「気配」を読むことは、わが国独自の精神文化だとする。例えば「阿吽」は読みの究極である。ビジネスにおいては「頭で考える」ことと、気配によって真実を「感じ取ろう」とする努力を同時進行させていると井村は説く。読むとは、ものごとの真実(全景)を、陽情報(外景)を五感によって獲得し、陰情報(内景)を、気配を感じ取ることによって獲得し、そのバランスによってつかむという統合知の試みである。


感じ取るとは、頭で考えることよりも、身体で感じ、身体が自然に動き、思わずして浮かぶ(思い浮かんでくる)という境地で姿を現すプロセスである。読む技術とは、江戸末期の賢人、佐藤一斎の言葉を借りれば、頭に血がのぼったような状態ではなく、精神を背中に棲ましめる、つまりこころの平静さ、冷静さを保つことと、胸を(気配を受けるために)虚にし、腹を(気力充実のために)実にすることにより、胸腹で感じ取ることである。


井村(1988)によると、ツキとは「付き」のことであり、何かが何かに付くことである。俗にいうと、物事がよい方向(希望がかなえられる方向)に向った状態、あるいはその状態を作り出している見えざる「勢い」である。また、ツキは、回ってきたり逃げたり、逃がしたりする。井村の観察では、長い時間流で見れば、徹底的にツク人も徹底的にツカない人もいない。むしろ重要なのは、ツカぬときの対策と心構えである。ツイてもツカなくても、その流れを軽くイナし、全体として栄えていけばよいのである。井村の説くそれは取り組みに対する正しい使命感、真摯な態度、真剣さ、崇高さであると要約できそうである。


井村の景気論によると、万物は気の動きそのものであり、動きあるところ、人も物質も、こころも身体も生き生きとしている。動きは「生み出す働き」を内に秘めており、この動きには「勢い」の強さがともなっている。勢いは、強度と流れる方向を含む。また、景気不景気は陰陽の働きと見なすこともできる。一斎の「言志四録」によれば、天下の情勢は、常(春や秋)と変(夏や冬)のリズム、周期性がある。四季のように移り変わる。また、井村は、気配や景気を感じ取る努力をするとともに、機(兆し)にも目配りをすることにより、気を制するものは栄えると論じる。