運命の呼び声と天職

毎日のささいな出来事に、"向こうからの呼び声"を聴く。一つ一つの物事に、"自分を超えた何か"の働きを見る。そんな生き方が、今、見直されつつあります。


・・・ヒルマンが提示するのが、私たちを超えた"何か"が向こうからやってきて、私たちの心をつかみ、そして否応なくある道へと呼び込んでいく、というものの見方。"運命の感覚"に満ちた"私の物語"の語り方。・・・ヒルマンは言います。人生には、理屈では説明できない"何か"がある、その"何か"は、これこそ私がやらねばならないこと、これこそ私が手にしなくてはならないもの、そしてこれこそ、私が私であるために必要なものだと訴えるのだ、と。ヒルマンは、こうした"運命の感覚"の復権を説きます。

私たちの人生には、私たち自身を超えた"うずまき"のような力が働いていて、その力によってある方向へ誘われている・・・。それはまず私たちに、自分の仕事を"天職"として、つまり天から授かったものとして受け取る感覚を育んでくれます。
・・・本を書いている時しばしば、私が本を書いているのではなく、あの"うずまき"が私に本を書かせている、"うずまき"が私を通じてものを語っている、と感じることがあります。


自分の仕事を"たまたま与えられた"仕事とみなしていては、心を込めた仕事はできません。たとえ小さな仕事でも、その仕事と自分の間に、目に見えない力、"うずまき"や"ご縁"の力を感じ取ることができれば、一つ一つの仕事に慈しみを感じ、ていねいに取り組むことができるようになります。その時その仕事は、その人の"天職"となるのです。

魂の心理学が言うのは、私たちの人生には私たち自身の意図を超えた運命の力、"うずまきの力"が働いている。しかし、ほとんどの人はそのことを忘れており、そのため、人生を粗末に扱う習慣を身につけてしまっている。だから、私たちの人生に働いているこの"運命の力""うずまき"を思い出して、それを自覚的に息よ、ということです。そして、運命の力を自覚的に生きるなら、−−時にそれに身を委ね、時にそれと戯れ、時にそれと対話するならーー私たちの人生は、変化し始める。人生ははじめてのその本来の可能性を開花し始める、と言うのです。

私たちは、集中力を発揮してある活動、たとえばバスケットボールに完全に没頭して無心の状態になっている時、しばしば、私たち自身を超えてそこに働いているダイナミックな流れ(フロー)に"乗っている"という感じを抱くことがあります。その時私たちは、自分はこの人生や世界、さらには宇宙の秩序と調和して生きている、という実感、なすべき時になすべき所でなすべきことをやっている、という実感を得て、人生を意味あるものと感じ始めます。さらには、フローに乗って生きる心構えを会得するなら、シンクロニシティ(意味のある偶然)・・・の頻度を高めて、自分自身で幸運を招き寄せることができると言われています。

コメント

運命とは、既に決まっている「宿命」ではない。常に変化し続ける天地自然の働きを指す。それは、陰陽相待の理法を含む生成と発展であり、基本的には良い方向に向う流れである。とすれば、天地自然の一部である私たちも、当然、その働きの影響を受けるわけであるが、それに逆らおうとすることも可能だし、現代の社会においては、世間体や、社会生活の掟、などによって、自然な流れに逆らって生きようとする力(私はこうしなくてはならないのだというとらわれ)も存在する。それをいったん忘れ去り、自分を「運んでくれる」「運命」の働きに耳を傾けてみよう、ということなのだろう。