宇宙の流れ

人間、たしかに自らの意思や思惑の届かない大きな「何か」に支配されている。それは人間の喜怒哀楽をよそに、大河のごとく一生を貫いてとうとうと流れ、いっときも休みなく私たちを大海に向けて運びつづけています。

稲盛(2004:209)

もう1つ、人生を根本のところでつかさどっている、見えない大きな手があるからです。それが「因果応報の法則」です。つまり、よいことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。善因は善果を生み、悪因は悪果を生むという、原因と結果をまっすぐに結びつける単純明快な「掟」のことです。


運命と因果律。その2つの大きな原理がだれの人生をも支配している。・・・人生が運命どおりにいかないのは、因果律の力がそこに働くからです。・・・したがって、善きことを思い、善きことを行なうことによって、運命の流れを善き方向に変えることができる。人間は運命に支配される一方で、自らの善思善行によって、運命を変えていける存在でもあるのです。

稲盛(2004:209-211)

因果応報の法則というものが見えづらく、それゆえに容易に信じることができないのは、物事を短いスパンでしかとらえていないからです。・・・しかし、それも二十年、三十年といった長い単位で見れば、きちんと因果の帳尻は合っているものです。*1

稲盛(2005:215)

つまり宇宙には、一瞬たりとも停滞することなく、すべてのものを生成発展させてやまない意志と力、もしくは気やエネルギーの流れのようなものが存在する。しかもしれは「善意」によるものであり、人間をはじめとする生物から無生物に至るまで、いっさいを「善き方向」へ向かわせようとしている。*2

稲盛(2004:220)

*1:しかもそれは一人の人生で完結せず、祖先から子孫へという世代を超えたタイムスパンでも成り立つのだろう。つまり自分の祖先がしてきたことが因果応報として現在の人々の姿に影響し、現在の人々の行ないが子孫の世代の姿に影響していく。

*2:生命(いのち)を考えてみると、それがよくわかる。生命を生み出しているのは、宇宙の意志としかいいようがない。この世界では、つぎからつぎへといっときも休むことなく、絶え間なく生命が誕生しつづけている。生き物がこの世に生まれ出でて生き抜こうとする力はとても強力だ。医学とて、基本的にはこの生きようとする力があってのことで、その力を若干手助けするにすぎない。もちろん、その一方で、死というかたちで元に還っていく流れも絶え間ない。このとめどなく流れるいのちの流れはとてつもなく力強く、誰もとめることはできない。