「楽天知命、故不憂」とは、一所懸命に自己修練に励み、それによって自分の天命を知り、天職を得ることができれば、すべてを楽しむことができ、何も憂うものがなくなる、という意味である。易経にある言葉である。
易経の「易」とは、本質的に変わるということを意味している。人間には与えられた運命というのがそれぞれあるけれども、その運命は変わる、変えられる。そのために易を用いる。正岡正篤が言うように、「与えられた運命に甘んじて、その中に埋没して流されて、翻弄されるという生き方もあるけれども、与えられた運命を変えるという生き方もある。」努力をし、与えられて運命を自分が望む方向に変えていくことを「立命」という。
天に活眼するとは、あらゆる万物を生まれさせ育てていく存在の働きに心を傾けることである。そうすることによって「天命(あなたはこういうふうに生きなさいという天からの命令)」を知れば、われわれが生まれてきた意味が一層はっきりとしてくる。それを「知命」という。
命には、生まれた国や時代のように、どう変えようとしても変えようのない「宿命」と、命を運ぶ、動いてやまない「運命」とがある。運命は変化し続けるので、いい方向に変えていかねばならない。運命は、因果の法則(数)に従って変化している。その法則性を知ることによって、自主性、創造性を高め、法則性に支配されない状況をつくれるようになる(つまり、自分で運命を変えられる)。そうするためには、善行を施すこと、努力を続け最後まで頑張ること、そして良縁を大切にすることである。
自分で自分の「命」を立てることが「立命」である。自分自身を徹底的に究明し、究尽し、修練すれば、天から授かったほんとうの能力・性質が見えてくる。それをうまく開発することによって、誰でも大きな働きができるようになる。そのために学問修養をすることである。学問修養をしなければ宿命的(動物的・機械的)になってしまい、運命の法則性に流されてしまう。学問修養すれば、自分で自分の運命をつくっていくことができる。