易の基本思想と易占い

易は占いに用いられたり哲学的に語られたりするが、易の基本思想は、世界や人生の「構造」を表現することだと岡本(2015)は指摘する。岡本によれば、易には3つの意味が含まれている。それは、「易簡」「変易」「不易」である。「易簡」とは、世の中のものはすべてシンプルで簡単明瞭であるということ、「変易」とは、世の中のものはすべて刻々と変化するということ、そして「不易」は、世の中には一定不変の法則があるということ。よって、易の根本思想は、以下のように表現できると岡本はいう。

世の中のすべてのものは永遠に変化をする。ただし、その変化には一定の法則があって、その法則は変わらない。世の中は、このたったひとつのシンプルなことで成立している。よく見れば簡単明瞭である。

易の根底に流れる思想は、陰陽思想だという。すなわち、易は「現象理解」の基本に「変化」を置き、すべては無常、常に変わるとする。その変化を陰陽で表現したというわけである。陰は必ず陽になり、陽は必ず陰になる。易は陰陽の気のめぐりを説くものであり、この単純な原則を背景に、64の現象について冷徹に理解を進めていったのが易である。易が表現している「構造」は、私たちにはどうにもならない自然世界・無意識世界なのであり、ただそこにある世界、私たちの都合などまったく相手にしない冷徹な世界を、64個の卦で表現しているということである。したがって、私たちは、それに一喜一憂せずに対処することが求められると岡本はいう。


また、易が示す、この世や人生の「構造」を知ることは、同時に「兆し」を知ることになると岡本は説く。易は「構造の変化」を教えているからである。易を学ぶことは、微かな「兆し」を見分ける力を身に着けることでもあるという。


上記のような思想に則り、岡本は、「易占い」を「見たくない現実を見るための道具」だと解釈する。占いとは古来から「大いなる存在」からの啓示を受けるシステムだと考えられてきたのであるが、そのような性質とは異なり、あくまで、自分の前意識にある「本音」や「見たくない現実」を見るためのものだというのである。そもそも、人という生き物は、本能的に働く防衛機能などによって、事実をちゃんと見ることができない。したがって、易占いをすることで、執着から抜けることが可能になるのだというわけである。