易を学ぶ理由

安岡(2008)によれば、易は「人間科学」「人生科学」である。易は決して、人間の予定された宿命を判断するものではない。むしろ、易は「変わる」ということであるから、宇宙の創造変化に則して普遍の法則をたずね、その法則に基づいて、自己・環境をいかに変えていくかをということになる。つまり、易は宿命をたずねるものではなく、運命を打ち立てるものである。ここでいう運命は、動いて止まざる絶対的活動である。したがって、その命の中に含まれている関係、因果の理法、数というものをたずねて、命を知り、命を立つる。すなわち変えるということである。


そして、宇宙はもちろんのこと、私たちの人生も、そのすべてその中に「機」というものがあると安岡はいう。機とは、ある一点を抑えると、それが全体の運行に微妙に響くという意味で、ツボ、勘どころ、物理でいうところの特異点ということになるという。であるから、商売であろうが日常生活の問題であろうが、いかにこの「機」を捉えるかということが非常に大事になる。その点において、もっとも活発に機を知り、機を生かす修行をしている代表的なものが「禅」であると安岡はいう。


であるから、安岡によれば,易を学ぶということは、私たち自身、その生活、環境、国家、さらにいえば天下、世界というものを動かしていくこの機を知り、把握し、活用していくことを目的にしているということを示唆するのである。