運命学

http://www.unmeigaku.com/what.htm

運命学は超科学のジャンルに属する「運」「運勢」について研究し、予見される結果を一つの「宿命」と考えます。そして、偶然の積み重ねといえる人生において、「偶然」という断面に覗く、「必然の因果関係」を探り出し、結果を生み出すメカニズム(原因)を突き止め、新たな結果を生み出す方法を探り出します。すなわち、人生の幸福に役立てようとする学問なのです。
結果が生じるためには、必ず原因と過程が存在します。私たちの日常を取り巻くさまざまな事象も、「なぜ?」「どうして?」を追求すれば、そこには必ず何か原因が存在するのです。人の意思・願望・力ではどうすることも出来ない目に見えない力、すなわち『運』の存在があるのです。

個人の意思や願望の一切働くことの出来ない立場に置かれている自然の運行があるのです。この運行が「宿命=先天運」と申します。


人にはそれぞれどうにかなる事(どうにかなって来た事と)、どうにもならない事、(どうにもならなかった事)があり、才能・努力・頑張りではそれに見合った効果や結果を生むものではありません。・・・それぞれの「宿命=先天運」を鑑定をするということは、己の宿命を知り強点・弱点を知るということであります。宿命がわかると、どのような努力・頑張りをすれば潜在的才能や能力を生かし、成功や幸せを掴むことが出来るのか、また後天運(運命)をいかに修正し、才能・努力が報われる為にはどのようにして、どのような努力をすれば良いのかを具体的に考えることができるのです。

コメント:自分の力ではどうにもならない事があるというところまでの論理展開はわかるが、その後の「宿命がわかると・・・」というところがやや疑問。まず、宿命を知る(あるいは推測する)ことが本当に可能か。あるいはその宿命が絶対的(あるいは客観的)なものなのか。これは経験則による確率論であるという説明をする場合もある。むしろ「自分の力ではどうしようもならない事」に関しては、自然の摂理・法則にしたがってはいるものの、誰も予測することはできないものなのではないだろうか。瞬間風速的な「運勢」(運は変わるもの、その勢い)は感じ取れるかもしれないが。


運命学などの論理展開上の特徴として、最初は陰陽五行説などを利用して非常に論理的に話が進み、どこかで議論が神がかってくる臨界点があるような気がする。