易と人生


天地・人生というものは運命である。「運」は、めぐる、動くという意味で、常に活動し変化してやまぬものである。「命」とは、信じる信じないに関わらず、必然にして絶対のものである。よって、運命には原因・結果の理法が含まれている。


運命の中の複雑な因果の関係理法というものを数という。易学では、天地自然、自然と人間を通じる複雑な理法と、これをいかに実践するかという意味を含んでいる。易学は、どうにもならない宿命を尋ねる学問ではなく、われわれの人間そのもの、人生そのものがいかに成り立っており、いかになすべきかという、変化と同時に実践の学問である。


正学とは、天地人間を通じる正しい原理原則から外れないで、これに従う学問である。概念や論理の遊戯ではなく、厳粛な自然と人生を通じる理法、真理とその法則、これに従ってわれわれが正しく行動するための学問である。


人間の生活、存在というものは、ひとつの大きな命、すなわち必然である大自然、造化(創造・進化)の一部であるから、その造化の支配制約を受ける。そういう意味で、変化してやまない運命の中に「宿命」がある。つまり、放っておけば、人間は自然の法則に支配されて、物質的・機械的存在になって生活する。この自然と人間の生活と存在の中には、複雑無限な因果の関係(命数)がある。宿命に堕せず、運命の理法に従って実践・再創造するのを立命という。


人間は造化(創造・進化)にしたがって、自分の運命をつくっていく。易を学ぶことで、われわれの生活、存在、活動の法則と、それに対する指針を得て、人生を日々新しくしていく、つまり維新していくことである。易の説くところは、人生と自然にいきづまりというものはなく、永遠の創造であるということなのである。

参考文献

易と人生哲学