走ってみよう 時間の流れ方が変わるから

吉田(2012)は、海外に行くと不思議なほど時間がゆったりと流れているのに気づくという。旅行や出張で、ぶらりと知らない道を走ってみると、なおさら、その豊かな時間を味わえる。それに対して、日本では時間の流れ方が性急で、落ち着きがなく、常にせき立てられているような気がするという。時間がぶつ切り、細切れになっているような感じで、慌ただしいため、時間の流れに身を任せられないというのだ。


普段の生活では、携帯電話、メール、ネットなどの発達で、時間はどんどん細切れになっている。同時に2つ以上のこともしようとする。現代人は常に何かをしていないと気が済まない。便利になったとはいえ、決して幸せとは言えないのではないかという。しかし本来、時間はゆったりと流れている。時間は細切れにはなっていない。時間は延々と続く。


吉田がランニングにはまっているのは、時間の流れに身を任せて走ること喜びを感じるためだと示唆する。走ると時間の流れ方が変わるという。走っている間は、せせこましく窮屈な世界、慌ただしく追いたてられているような気分に、さよならできるというのである。ゆったりとした時間に身を任せたくて、走っているというわけである。とくに、どこまでも走れそうな緩やかなスピードで走っているときは、時間の流れに身を任せ、淡々と過ごすことに喜びを感じるそうである。時間とともに大河のように流れる。そこに何とも言えぬ幸せがあるということである。