大河悠流、大樹深根

野村(1999)は、人間の一生はよく川の流れにたとえられるという。山間の一滴の湧き水がせせらぎとなり、沢や、谷川や、渓谷を造りながらやがて平地に出る。やがて大河となって田畑や町をうるおし、大海に出て生涯を終える。


人生と同じように、川の流れそのものも、その前半と後半とでは景観が大きく異なると指摘する。それまでの時間は狭く、速く、そして激しい。だがそれからの時間は、ひろくゆったりと、そしておだやかに過ぎていくという。人生も川の水と同じく、同じ場所を流れることは一度しかない。けっして元に戻ることもない。


野村はまた、自然の生命を育む時間の神秘を樹木を用いて説明している。地表に芽を出した小さな芽が双葉になり、若木になり、次々と枝を伸ばし葉をひろげながら雄々しい大樹へと育っていく。人間でいえば、肉体的に成長し、職場で功を成し名を遂げて、出世したり社会での名声を高めていくさまにたとえている。


だが、幹と枝だけでは大樹にはなれず、第三者の目に見えない地中で大きな根を張っていかねばならないという。人間でいえばそれは、目に見えない陰の努力や、仕事以外の知識や知恵や、教養や、品格や、人間性や、人望や、豊かな私生活ということにもなると指摘する。地中の根を大きくすることも、これからの人生時間の大きな課題だというのである。