あるがまま、成るがままに生きる

特に社会人になってからは、目標や計画などをつくって努力をしても、私の場合には、なぜかそのようにはならないことが続出して、はっきりと自分の特性がわかりました。そこで、「他者との約束だけは絶対に守る努力をする」と決めた以外は、「目先にきた、"やらねばならないこと"に全力投球しよう」と考え、この2つのことだけを守って生きてきました。
したがいまして、いままでの私は、自分で生きてはきたのですが、実態はなにかに生かされてきたようなのです。その結果として、いまの私があります。
別の言葉で言いますと、「あるがまま、成るがまま」に生きてきたといえるでしょう(船井 1999:94-95)。

船井氏本人が繰り返し主張するように「世の中はマクロに見れば生成発展しており、よい方向に向かっている」という前提のもと、「あるがまま、成るがまま」に、世の中の生成発展の流れに自分の身を委ねる(目先にきたやらねばならないことに全力投球する)ことによって、本人は生かされている(よい流れに運ばれている)と感じているのだと解釈できる。