流れの論理2

流れとは、時間とともに、新しい出来事が次々と連続的に展開していくさまである。このプロセスは、始めも終わりもなく、延々と続くものであると考えられる。このような物事の展開を、われわれは、空間的な感覚で把握することによって、「流れ」として捉えることにつながる。


空間的な感覚で物事を(半ば無意識的に)思考に利用していることを、空間メタファーという概念で説明される。まず、空間概念をつかって、時間概念としての過去・現在・未来という軸を見ると、過去は後ろであり、いまを基点に未来は前である。そうすると、時間とともに物事が展開していくさまは、後ろから前へ「流れる」ことになる。


物事が前に流れるといっても、空間的には、上下左右の方向もある。それが流れの方向性を示している。その方向に向かって、物事が展開していく勢いを、流れの勢いとして捉えている。そして、その勢いから、流れにはものごとをその方向に動かすなんらかの力が働いていると解釈する。人々は、そういった空間感覚で捉える物事の展開を、読み、あるいは流れを作り、人々を巻き込んだり、流れを変えたり、流れに乗ったりする。


ただし、この構図でいくと、流れを見ている自分は静止していることになるから、ベルグソンドゥルーズ的にいうと、厳密には違う。むしろ、自分自身も流れと一緒に動いている、あるいは流れの一部であるととらえるほうがよい。だが、そうすると流れを空間的視点で捉えるのが難しい。よって、人間の能力が、ほんとうはすべてが変化している世界を、あえて静止した状態から眺めて理解するという機能を持っている。よって、ベルクソンドゥルーズは、そのあたりを哲学的に解決しようとしているとも思われる。