不運学

なんとなく調子が落ちているなと感じた時、・・・・、ちょっとした変化を生活の中に与えるのは、スランプの予防策として有効だと思う。生活の流れが変われば気分も変わり、気力もしだいに充実してくるからである。ただし、急激にすべてを変えすぎると、反動でかえって悪い結果が出るかもしれない。調子が下降気味の時には、あまり無理をしてはいけない(米長 2006:20)。

スランプに陥った時、いちばんよくない処方は、コーチのような人に付いて、「あそこがいけない」「ここが欠点だ」と、あれこれ言われて考え込む音である。・・・当人ができるだけ早く、ゼロから出発し直そうという気分になるのが妙策である。混迷の中にある時には、原点に戻るのがいちばんなのである。・・・あとは帆を上げて、よい風が吹くのをのんびりと待つだけである(米長 2006:23)

九分九厘の勝ちを確信しながら、一手の指し間違いで流れが変わり、握っていたはずの勝利が手からこぼれ落ちるということはよくある。「しめた」と思ったときほど、注意してかからなければいけないのだ。
・・・運気というのはサイコロの目のようなもので、それほど必要としていない時に、いちばんいい目が出てしまうことがある。あと先を考えずに飛びつくと、思いかけずそれが敗因となってしまうこともある。
・・・たとえ左遷されたとしても、そこでこつこつと仕事をしていれば、復活の機会はいくらでもある。・・・ところが、潮目が変わって負けになった時、けじめのつけ方を知らないと、同じような負けがズルズルと続くようになる。ミスを犯したうえに責任を取らないとなれば、毎日が負けの連続となる。悪手に悪手を重ねることになってしまうのである(米長 2006:82-84)。