経営学論文に雄弁さは必要か

経営学論文の場合、数式部分はあまりなく、論文全体に占める文章の割合が多い。そこで、雄弁性はどれだか価値があるのか。雄弁性とは、読者の心を打つ表現、感情に訴える表現といったように、主に、文章力、表現力を指すものであるとしよう。


論文の目的が、理論や発見を、論理的に簡潔に示すためのものであるならば、雄弁さは不要であるといえる。淡々としているが結論に至るまでに論理的に破綻しなければよいのである。ある意味、論理およびそれを支持するデータの塊といってよいだろう。


それに対して、雄弁な論文というのは、論理的かつ簡潔な記述以外に、読者の共感を得たりする表現を用いるわけだから、論文としては冗長性を持っているし、いわゆる推敲が重ねられたこなれた文章であるはずだ。論文を読んだ読者が、感情面で何か心に打つこと自体が、経営学分野でどれだけ重要なのかというのが論点となろう。


論理的に正しく厳密で漏れがないのだが、読んでもあまり心に響かない論文と、全体的に曖昧であったり厳密性にややかける議論を展開していても、読者が「まさにそれだ!」と声を叫びたくなるような論文と、どちらが経営学として優れた論文なのだろうか、ということなのであろう。もちろん、論文の中身も重要で、表現力だけの問題ではないと思うが。