見えない「気」の流れの読みかた

見えない流れ

「気」は、科学的(客観的)手法では、それが発するエネルギーの一部を物理的に検出することができるかもしれないが、そもそも物理的現象ではないので、その流れを捉えられないし、記述できない。
しかし、まったく存在しない流れを、人々が勝手に主観的に想像しているだけなのかというと、そうとも言えまい。客観的には存在を確認できないが、物理的世界とこころの世界を統合したときに何かが見えてくる。気の考えや気の流れがまったくのでたらめであったならば、現代にいたるまでにその思想が衰退してしまうはずだが、現代でも生きているということは、現代科学ではわからない何らかの重要な本質が隠されていると考えるのが自然だろう。東洋思想を中心に、見えない流れを見るための方法について、ざっくばらんに考えてみる。

東洋医学における気の流れの読み方

身体を気が流れるものと見立て、体を触ったり脈を診たりしながら、経絡を中心に気の流れを感じる(読む)。

風水における気の流れの読み方

山、水、川、方位といった自然や地形の特徴をつかって、先人の知恵を借りながら読む。

東洋思想・宗教における気の流れの読み方

心身を鍛えて、自然との一体化、悟りを目指す。悟ることにより、気の流れを感じる。

ポイント
  • 流動的な世界を前提とする(世界観・人間観の仮定)
  • 主観と客観の統合、自然との一体化によって見ることができるもので、客観的手法のみでは見ることができない。主客二元論・還元主義であるからこそ理解しがたい。
  • 万物は絶えず変化している。しかし、陰陽五行のように規則性がある。移り変わりながら循環する。
  • 全体を構成する要素はそれのみで独立して存在しえない。本質的なのは関連性、つながりである。だから臓器ではなく、気の流れが重要。
  • 五感を使って「感じとる」(測定とは少し違う)
  • 自然・宇宙の働きを重視する。自然・宇宙の摂理を深く理解する。
  • 自然や宇宙の大きな流れを基礎、前提とし、個別の流れを見ていく。身体も小宇宙である。
  • 修行などによって、心身を鍛える。頭だけでなく体も使う。
  • 修行などで悟ることによって感じ取る。
  • 瞑想や武術、気功などの訓練によって感じ取れるようになる。
  • 実践的努力による完成された人格(仙人、聖人)によって「見えない流れ」に近づくことができる。