インドの思想

榊原(編著)(2011)によれば、インドでは、列車が定刻通りに来れば奇跡だと言われるほどだが、インド人の時間感覚の背景には、伝統的なインドの時間の概念があるという。


それは、時間は循環するものだという考え方である。これは、ヒンドゥーイズム(仏教にもある)の輪廻の思想だと説明している。輪廻は魂の永遠性と不滅を意味し、誕生が繰り返され、短い命が廻っていくという考え方である。ここでは時間は静的であり、永遠なものである。つまり、伝統的なインド人は循環的かつ静的な時間の中に生きているため、時間に追われることもなく、永遠を見つめていればよいという考え方を持っているといえる。


榊原(編著)は、インドは宗教のショールームだと言うが、中でもインドの主要宗教でもあるヒンドゥー教に着目してみると、ヒンドゥーイズムは宗教というよりもインド人の「生き方」だと言ったほうがよいかもしれないと指摘する。極めて世俗的で他の宗教にも寛容なのである。ヒンドゥー教の前身であるバラモン教は仏教を通じて日本の民族信仰や風俗・習慣に大きな影響を持っている。実際、弁才天サラスヴァティー)、大黒天(シヴァ神)、毘沙門天、吉祥天、大日如来梵天帝釈天など、日本の民間信仰に登場する神々のかなりの部分はヒンドゥー教の神だという。


こうした神々とともに日本に渡来した仏教がその後の日本人の考え方や思想に決定的な影響を与えたとするが、それは「無常観」だという。インド仏教、バラモンの無常観、輪廻転生の思想が日本化されながらも定着していったと考えられるのである。仏教的、ヒンドゥー的無常感は、インドと日本が共有する感覚だと指摘する。


西欧などに多く見られる人間中心主義の一神教は、人間は自然の中でも特別の存在だと考えるが、多神教ヒンドゥーイズムや日本的仏教は、人間は自然の一部に過ぎず、自然とともにあると考える。


輪廻の思想と循環的時間概念では、時間は流れていて、しかも永遠である。何もそんなにあくせくする必要はない。いずれ死に、そして、また、新しく生まれる。流れていく水のように、淡々と生き、淡々と死んでいく。このように考えるのだと榊原(編著)は指摘する。