処世術


生きていくための、ある意味「堅固な」処世術があるとよい。


キャリアの分野では、時代に流されないための「錨(アンカー)」の必要性が説かれる。しかし、ここでいうところの処世術は、アンカーのようなビジョンや方向性や理念のレベルではなく、日常生活におけるノウハウ的なレベルのものである。


しかし「堅固な」の意味するところは、処世術そのものが、現在の状況をサバイバルするため、とりあえず目の前の困難を切り抜けるためといった「安易な」「場当たり的な」「時代に流された」ものであってはならないということである。もっと本質的な部分で「いかによく生きるか」「いかに毎日を充実して生活するか」といったことを、具体的に実践するための基本的な考え方であり、行動様式であるといってもよい。であるから、「堅固な」処世術では、時代や場の流れを積極的に味方にしたり、あえて「流れに乗る」ことはあっても、時代やその場の状況に「流されたり」するようなものであってはならないのである。


「堅固な」処世術というものは、時代を経ても通用する類のものであり、裏を返せば、すでに古代から何らかの形で風化せずに現在まで伝わっている古典の中に、多くの要素が含まれているといえるのである。しかし、難解な古典を皆が理解しなければならないということになれば敷居が高い。よって、現代人にもわかりやす処世術が求められるのである。


処世術は、偉大な業績を残すとか、大きな成功を勝ち取ることを可能にするものである必要はない。むしろ、世の中の多勢をしめる「ふつうの人」が、平凡な環境、地味で平凡な日常生活の中においてでも、自分自身で納得ができる生き方や成果がだせることを可能にするようなものなのである。